ウォン・カーウァイ監督「欲望の翼(Days of Being Wild)」(1990年)
ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼(Days of Being Wild)」(1990年)を観た。
ひさしぶりにこういう映画を見て、すごく刺激的だった。
映像は美しく、ストーリーも俳優も疾走感にあふれていた。
おそらく、当時の香港映画は、カンフーやキョンシーのような娯楽映画が多く、こうした芸術性の高い映画は、かなり抜きん出ていたのではないかと思う。
それほど、今見ても映像の構図もかなり美的なものが多く、飽きさせなかった。
ウォン・カーウァイ監督の作品では、3作目となる『恋する惑星』(1994年)が有名だ。自分もこの作品しか見たことなかった。
ちなみに『恋する惑星』は、当時タランティーノ監督も絶賛していた。主演だった歌手のフェイ・ウォンの好演が素晴らしく、彼女は『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌「Eyes On Me」も歌っていましたよね。金城武さんも出てました。
●恋する惑星 Faye Wong フェイ・ウォン 夢中人
それはともかく。
ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼(Days of Being Wild)」は、2作目となる初期作品。
2018年2月には劇場版としては日本では13年ぶりに渋谷Bunkamuraで上映されるらしく、スクリーンで見てきた。
やはり、映画として作られた作品は、スクリーンで見るにふさわしい。
暗い空間の中で、夢を見るように世界の中に没頭できる。
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1960年の香港が舞台。
基本的なストーリーは、6人の男女の交錯しながらすれ違う思いを描く。
おそらく、60年代の香港の時代そのものの様子を、男女のかみ合わなさを介して同時に描いているのだとも思う。
急激に都市化し、同時にスラム化しつつある香港。
表向きには近代化していても、そこで生きて生活する若者の心は荒廃していく。
何かが足りない。何かが失われている。でも、その「何か」がわからない。
おそらく、急激な近代化や資本主義の発達で失った「何か」は、人間の「たましい」にかかわるものだ。
男女の荒廃した心は、恋愛や、時には暴力のような形で表現されるが、もちろん、そこには出口はない。
水路を失ったエネルギーが、ダムが決壊するように他者の聖域を侵食しているだけだ。
恋や愛は、基本的に「たましい」に関わるものだ。
だから、魂をつかまれると、理性では制御できなくなる。
しかも、魂をつかんだもの、つかまれたもの、その組み合わせがペアになればハッピーエンドになるが、魂をつかみあう関係性はすれ違い続け、誰一人として、互いが互いの魂を共振する関係性はみつからない。関係性はずれ続け、すれ違い続けてしまう。
ある女性にとって、魂をつかまれたのは、ある謎に満ちた言葉だった。
「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは『1分の友達』だ」
特定の時間と、謎に満ちた言葉。
女性はこの言語で投げかけられた時間と言葉の中にとらわれてしまう。
魂の喪失は、表面的な恋愛で埋まるものではない。
なぜなら、それは個人の存在のもっと深いところで失ってしまった「何か」であり、それは時代全体が一過性の繁栄(それはたいてい、虚栄心や優越感を一時的に満たすものに過ぎない)とトレードオフで失ったものでもあるのだから。
ウォン・カーウァイ監督が、当時の時代の病をひきうけていたからだろう。観ているものにも、表面的な男女の群像劇だけではなく、その背後にヒタヒタと迫っている大きな喪失感を感じさせる見事な作品だった。
最後、ある種の衝撃的な死の場面が描かれるが、この場面も、必ずしも現実的な死を描写しているというより、その人の「内的世界の死」の象徴のようにも見えた。
僕らは、生きていると、常に心の中が改変されながら生きていく。
今まで信じていたものが崩壊するとき、それは今まで積み上げてきたものすべてがガラガラと崩れ、自分の内部で何かが死を迎えるだろう。
死と対峙し、自分の一部として生きていくには、内的世界でも葬儀が必要だし、喪に服す時間も必要だ。
時に挟まれる美しいラテン音楽は、そうした内的な喪の時間を、何か感じさせるものでもあった。
映像は淡く、どこか非現実的だ。そして、構図が素敵だ。
挟まれる音楽も、とにかくセンスがいい。
ストーリーもわかりやすくもあり、同時にわかりにくくもあり、その配合が映画に奥行きを与えていた。
俳優は誰もが手練れで、まったく飽きさせない。
●Xavier Cugat Maria Elena
●Los Indios Tabajaras - You Belong to My Heart
●Los Indios Tabajaras - Always In My Heart
●梅豔芳 - 是這樣的 (Anita Mui - Jungle Drums Cantonese Cover)
ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼(Days of Being Wild)」は、Bunkamuraのル・シネマで2月から公開されるみたいです。
Bunkamuraはセレクションがいつもセンス抜群。
時代の一歩先をひたはしりながら、東京の文化を寡黙に引っ張り続けている。
時代時代で選ばれる作品のセンスに、抜群の安心感がある。
20年前とは思えない骨太な映画。
ぜひ見に行ってみてください。
脚のない鳥がいるそうだ。飛び続けて疲れたら風の中で眠り、一生に一度だけ地上に降りる。それが脚のない鳥の最期の時だ。
彼を忘れるには、あの最初の1分から過ぎたすべての時を忘れないと──
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
キャスト:レスリー・チャン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ、トニー・レオン、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン
1990年/香港/95分配給ハーク
製作総指揮:アラン・タン
撮影:クリストファー・ドイル
美術:ウィリアム・チャン
編集:パトリック・タム
●映画『欲望の翼』予告編