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本への愛 放てば手に満ちる。

週末が引越しなので、いろんな仕事と並行して大変だ。 しかも、忙しすぎて全身が崩れたのか風邪までひいた。 体のバランスを整えようよしているのだろう。

今ある家の本の山に埋もれながら、よくもまあこんなに本を読んだものだと、自分ながら感心している。

高校のころ読んだジャーナリストの立花隆さんの本の中で、 「本当に物事を調べたいのなら関連書は10冊は読まないといけない。月に10万から15万は本代に使わないといけない。自分の身銭を削って本を買わないと本気で読まない。」 と書かれていて、その言葉がぐさりと自分にささり、そこからずっと続けてきた。 独身の時は月に10万円は本代に使っていたのかもしれない。それ以外あまりお金つかわなかったもので。 あと、亡くなった祖父からも、「お金も何も奪われても、自分が身に着けたものは誰にも奪われない。だから本を読んで、色々なものを体験して身につけなさい」と言われたこともあり、戦争体験者が身をもって感じた真理はズシリと自分にも突き刺さっていた。

結婚して子供ができると、子どもが小さいときはさすがに読書や漫画に没頭する時間はとれない。TVなども見ていると子供は泣く。

子どもは、とにかく自分に注意を向けてほしい存在なのだ。それは、命がけなのだ。

だから、子どもと向き合いながら知的生活を継続するためにどうしようかと思い、ここ最近はレコードが復活してきた。

子どもをあやしたり遊びながら、レコードは聞ける。両立できる。

そういうことで、ベートーベン、マーラー、ブラームス、ブルックナー、マーラー・・・の交響曲を一から聞きながら、子どものモードにあわせて環境をピアノにしたり邦楽にしたり子守唄にしたりジャズにしたり、ひとりDJしている。

今は、ライフサイクルの変化の中で、読書から音楽へとシフト中なんだろう。

だから、大量の本に埋もれて、まるで他人のような過去の自分に、あっぱれ、と感心している。

やはり岩波文庫は装丁渋くてかっこいいんですよね。読者をはねつけて寄せ付けないオーラが、逆に挑戦心をたきつけるようで。

こういうのをちゃんと保存してくれるのは、やっぱり岩波様様なんですよね。

ありがたい。

売れるとか売れないとかじゃなくて、使命なんですよね。

カントは読んでてまったくわからないんですが、意地で読み通して、その感慨にうちひしがれた記憶があります。 読んでも読んでも分からない。でも分からないなりに読む。だからこそ読み返すという奇妙な読書体験でもありました。

青春の読書って、そういう根気を養う時代なんでしょうね。スマホでは根気は育たないなぁ。

いまでもカントはわかったのかどうかがよくわかりませんが、カントの哲学への切実さは、かなり理解したつもりです。

そして、カントが自分にとってかなり身近な人でもあるようになったのは、あの苦しい読書体験のおかげです。自分の身体をくぐらせる儀式として。

カントとブッダには、カントさん、ブッダさん、あなただったらどう思いますか?と、自己内対話をよくしている。自分の中に、住んでいるんだろう。

岩波文庫は字が小さくて目が痛くなる時、講談社学術文庫も好きです。

ちくま文庫も、ちくま学芸文庫も、独自のラインが素敵。

平凡社ライブラリーは、重要なのになぜか他の出版社が残さないのを、丁寧に丁寧にすくいとってくれますね。そこに本への愛を感じます。

 

本の話になると、勝手にもりあがってしまった・・・

これからは、こうした大量のInputを、自分の中で血肉化させて、グツグツト煮こんで、自分の身体を通過させた言葉としてOutputさせて、未来を担う若い人たちのためにすこしでも貢献できればと思う。 多くのものを受け取ったからこそ、多くのもの与える側に回っている。

放てば、手に満ちる。

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