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「お食い初め」の儀式

「お食い初め」の儀式をした。

生後100日頃に乳歯が生え始めるので、「食べることに困らないように」との祈りを込めて食事の行為の真似をさせる儀式だ。「百日(ももか)の祝い」や「歯がため」とも言われる。平安時代から行われてきたらしい。

友人に頂いた「竹の椅子」!に座ってもらい(ありがとう!すばらしい!!)、厳かに食の儀式をした。(生後4か月だが、まだ首が完全に座っていない。大人はみんな首が座っているので、外に出て大人を見るたびに自分は勝手に感動している!!無意識くん!すごいよ!)

いま、平安時代の医学書「医心方」の勉強会をしている。藤原書店から、序文集である「『医心方』事始」も出たばかりだ。 平安時代のひとたちの気持ちに共鳴するため、ちびりちびりと、池澤夏樹さん個人編集の日本文学全集04「源氏物語 上」(角田光代訳)も読んでいるところだ(分厚いけど、面白い! 仕事に子育てに忙しく、なかなか本を読めないけれど。移動中に読んでいる)。

この平安時代から今でも続いている儀式だと思うと、やはり食が命をつないできたのだな、という思いを新たにする。 過去は、食を確保するのは命がけだった。もちろん、今でも国や地域によってはそうだ。

今は食が飽和しているからこそ、量ではなく質の時代になっているともいえる。命や人生が、量ではなく質の問題であることと同じように。

こうした「お食い初め」の儀式も、身体記憶として人間の体に記憶されるのだろう。

愛と言うと抽象的で漠然としているが、こういう具体的な儀式や型の形に変換させて、大切なことを伝えているのだろう。 愛は無限に与えることができるし、無限に受け取ることができる。 受け取った分だけ、与える側にまわってくれればいいな、と思いつつ。

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