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ジャコメッティ展@国立新美術館

国立新美術館開館10周年のジャコメッティ展。 まー、素晴らしかった。

ジャコメッティは彫刻家の側面しか知らなかったが、人物のデッサンが鳥肌が立つほど素晴らしかった。

ジャコメッティは、キュビズムやシュールレアリスムなど様々なスタイルを試していたが、父の死をきっかけとして「見る」ことに回帰し、「見えるものを見えるままに」表現することを徹底的に追及する人生を送った。見ること、観察すること、そうした何気ない行為の奥底へと挑み続けた。

日本人哲学者、矢内原伊作とジャコメッティとのエピソードが彼の本質を物語っていた。

ジャコメッティはデッサンするとき、モデルに完全な不動を強いるらしい。数mm動いただけで、まるで交通事故に遭ったような絶望的な表情をすると。 モデルも普通の人では勤まらず、逃げ出す。

そんな中で、矢内原はモデルの仕事をジャコメッティとの真剣勝負だと考えた。そして、72日間、まったく動かずほぼ1日中モデルをつとめあげたという。

ジャコメッティの視線は、矢内原の魂をも射抜くような観察だっただろう。村上春樹さんの新作小説「騎士団長殺し」のエピソードを思い出させる話だった。

ジャコメッティの観察力の深さとデッサンで絞り出した人間の存在感に、見ている自分の魂も射抜かれた。

じっとジャコメッティの筆の痕跡を観察したが、どうやら人物の「鼻」を中心に描いているのではないかと思った。

鼻は人体でも特異な突起物だ。確かに奇妙な形をしている。鼻(はな)が花(はな)と同じ呼び名であることも鼻の本質と関係があると思う。

鼻を中心に、円を描くようにデッサンしているように思えた。

そうした人物のとらえ方が、彫刻という凹凸での表現において、ジャコメッティ独自の造形へと結晶化しているように思えた。

《ヴェネツィアの女》という集合体、フォーメーションには、美術がはらむ極めて魔術的な力を感じた。

最後のフロアにあった3点の大作《歩く男Ⅰ》《女性立像Ⅱ》《大きな頭部》も、展示空間の時空をねじらせるほどの迫力だった。ここだけ撮影可能だったので、控えめにガラケーで撮影した。

彫刻もすごいのだが、彫刻の影すらも生きているように見える。

土曜夜に行ったが、意外に人が少なくて驚いた。 ぜひジャコメッティ展、見に行ってほしいです。

そわそわ、もぞもぞ、ぞくぞく、どきどき、します。

6月14日(水)から9月4日(月)まで。

近くの東京ミッドタウンにあった、川久保玲さんからのメッセージ

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