top of page

神話、音、衣

EGO-WRAPPIN'の中納良恵さんはいつもお洒落でセンスがいい。 衣服や衣に気を使うことは大事なことだと思う。 お洒落やファッションを恥ずかしがる必要はない。 むしろ、恥ずかしがっている自意識の方が、自分は恥ずかしいとさえ、思う。

中納良恵さんが歌を唄っていたアイルランドの映画「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」では、「衣」や「音」が持つ神秘的な力の話が出てくる。 以前、ブログに感想も書いたことがある。 〇「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2016-08-22)

自分は「古代布」とされる、古代の布に興味を持っている。

「衣食住」と最初に表現される「衣」が持つ古代の力。

衣服は、人間と自然との関係性から生まれてきている。

そして、素敵な衣をまとうだけで強烈な力で守られているのを実感できる。

衣服とは、すごいものなのだ。人を羊膜のように守り、包む。

〇ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(予告編)

映画「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」で下敷きになっているのはアイルランド神話に由来する話だが、日本の能楽にもある「羽衣」とも極めて親和性が高い物語だ。

ケルトと日本は、親和性がある。 ユーラシアの西の端であるケルト文様の渦巻と、ユーラシアの東の端である日本の縄文やアイヌの渦巻とが、全く同じ図像を共有しているのは興味深いことだ。 ユーラシア大陸の両耳として、ケルトと日本は古代でつながっているのだろう。 〇「ケルティック 能『鷹姫』」(February 19, 2017)

人間は、その存在が自然の一部であるにも関わらず、自然と切れる傾向をもっている。

「自分」が世界と別個に存在しているという感覚は、人間が「意識」をもったことにも起因しているのだろう。

そうした「自分」をどうすべきかを記したのが神話であり、すべての神話には「人間が意識を持つとはどういうことか」ということが比喩的な言語で書かれていると、思う。

アイルランド、ケルトに伝わる「オダウド家の子供たち」という伝説がある。

そこでは、ある男性が人魚である女性と結婚した話から始まる。

夫婦は7人の子供を持ったが、夫は戦争で出陣せざるを得なくなり。夫は妻が海に戻らないよう、人魚である妻のマントを隠す。

妻はマントを脱ぐと人間になり、マントをかぶると人魚になる。 

しかし、妻は6人の子供を岩にして、末の女の子をマントにくるみ、人魚として元の海に帰ってしまう。現地で語り継がれている伝説だ。

そうした伝説と共に、アイルランドには「人魚岩」と呼ばれる6つの岩がある。 その6人の子供はアザラシに生まれ変わったとされるため、現地ではアザラシは食べない。

そして、「人魚岩」が濡れている時は、オダウド家の誰かが死んで悲しんでいる時だ、と言い伝えられていて、共に死を悼む。

伝説や神話の元なる「物語」は、自分の心のなかに起こることと外に起こることとが融合して、ひとつの話になっている。昔の人はそれを区別せずに語っていた。

何か思いがけないことが起こったときに「とても怖かった」という言い方をするところを、昔は「お化けが出てきた」という言い方をしただろう。

これは外的な事実というよりも、自分の心のなかのことを語っているのだ。それは無意識の世界に深く関係してくる。

動物と人間、自然と人間との共生を心の中で深く思い悩んだとき、自分の外側の世界と、自分の内側の心の世界とが分かちがたく融合していき、それはおのずから物語になっただろう。

民族としての普遍性を持つと「神話」となり、土地と結びつくと「伝説」になる。語りとして、口伝えで伝承された。

こうした古代の物語を聞くと、「音」や「衣」に関する話が多く出てくる。「音」や「衣」がいかに大切にされていたか、ということが伝わってくる。

こうした古代の物語を受け取るときに、人魚の話として表現された古代人の意識の残滓に、心の内側の奥深くに、ふっと潜り込むことができる。

bottom of page