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村上春樹と水面


以前、電車の中で村上春樹の「パン屋再襲撃」のハードカバーを読んでいた。

自分が青と赤の色鉛筆で熱心に線を引いたり、書き込みをしたりして熟読していたら、隣に座っていた男性が突然話しかけてきた。

「村上春樹の本を線をひきながら読んでいる人を見たのは初めてです。

わたしは村上春樹の良さが全く分かりません。高校生の娘が好きなようでよく読んでいるのですが、過激な性描写も出てくる本を読んでいるので不安です。

本当に何がいいのか、さっぱりわからなくて困っているんです。村上春樹の何がどういいのか、教えてください。」 真剣で迫ってくる顔つきで突然尋ねられた。

彼の瞳の中に強い決意のようなものを感じたので自分は瞳を見て返答した。

「ひとは眠るときに日々夢を見ています。

夢が意識にあがってくるかあがってこないかは人によって違います。それは水面の高さの違いに過ぎません。 海底火山は水面の高さが違えば、時には島になりますし、時には大陸になります。それは水面の高さの違いにすぎません。

夢は、あなたが持っている固有のイメージ世界のことです。あなた自身の意識を支えている土台です。

あなたの海底火山が見えない深海で噴火しているのか、島のようにその上で生きているのか、大陸として広大な土壌を旅しているのか、それは善悪の問題ではなく、水面の高さの違いに過ぎません。選択もライフスタイルの問題です。

夢を見ないで生きることも、夢と共に現実を生きることも自由ですが、村上春樹さんの作品は、人々が自分自身のイメージを生きるためのドアを開けるのでしょう。他の誰のものでもなく。

入り口に連れて行ってくれるのです。そこはあくまでも入り口です。それぞれの人生の入り口です。その奥底に魂の世界があると思います。

あなたは、自分自身の夢を見ていますか。自分の内側のイメージを見ていますか。それは目を閉じるからこそ見えるものなのですよ。目を閉じないと見えないものがあるのです。」

自分は目的の駅に着いたので席を立った。

隣に座る年上の男性は、降りるべき駅を乗り過ごしたようだったが、そこは本当に降りるべき駅だったのだろうかと、自分は思いながら、会釈をして扉を出た。

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