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うつほ物語(宇津保物語)

February 15, 2017

大学の友人たちと行っている輪読会のため、うつほ物語(宇津保物語)を読んだ。


うつほ物語(平安時代中期)は、竹取物語と源氏物語をつなぐ重要な作品だと思う。
紫式部も、このうつほ物語を読んでいただろう。

 

「うつほ」は木の空洞の場所のこと。木の空洞(「うつほ」)で育った女性が主人公にもなっており、場所そのものがタイトルになっているというのは面白い。

実際、個人の人間は死んだり生まれたりを繰り返していくから、場所こそがそうした人間の営みの定点の観察者として存在しているからだ。

 

 

 

 

医心方という日本最古の医学書の勉強会もしているが、医心方も同時代に編纂されたものだ。
この時代の物語は、みずから作る、という意図が少なく、おのずから生まれた、という要素が大きい。まるで誰かの夢(時代の集合的な夢?)を覗いているような気がする。

 

 

自分の体験を自分の心に収めるため、その経験を自分の世界観や人生観に組み込む必要がある。そのために、ひとは物語を必要とする。
未知の物語を読んでいると、意識することのなかった自分の心の働きに新しい発見がある。自分の心に新しい視点が獲得されるのを感じる。

 

 

すべての人は、自分の体がどのように働いているのかまったく知らないが、それでもうまく機能している。
同様に、すべての人は、自分の心がどのように働いているのかまったく知らないが、それでもうまく機能している。
自分の知らない心の働きが生じて、全体としてうまく機能しているのは、何とも謎めいたことだ。
物語や芸術は、そうした自分の未知の部分が関与しているところから生まれてくるものだと思う。

 

 

 


既存の体制の物語を生きている人たちは、自分たちは現実を生きていると信じ、物語の必要性を感じないか、価値を低く見ている。
源氏物語での紫式部の例は、体制の出世に無関係な女性が、自分の物語を書き始めたことに由来するだろう。
そこでは夢や転生が多く登場する。
未知の体制を生きようとする人は、新しい現実や新しい物語を必要とするが、それは古典を読み返しながら、現在性を付与することで新しく創造されてくだろう。

 

 

 

うつほ物語では、人間の計らいを超える流れとして、「音」が扱われる。
音に始まり、音で終わる。


人間世界の底流には「何か」が流れているのを誰もが予感するが、その象徴のひとつとして音があるのだろう。それは音楽の起こりとも関係していると思う。

「音」はいのちと同じように、同時に重なり合い響きあうことができるものだから。

 

 

うつほ物語は、琴の秘儀の伝授という形で異なる世代が結ばれていく。

 

美や芸術は、そうして静かに受け渡され続けた、いのちの歴史そのものだ。

 

 

たましいの働きを心に伝えるゲート(門)として、音は重要だ。
それは境界を越えてやってくるからだ。

 

 

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