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新作能『利休-江之浦』(企画・監修:杉本博司)

小田原文化財団プロデュース、杉本博司さんの新作能『利休—江之浦』を観に行った。

素晴らしい舞台だった。深く心を動かされた。終演後もずっと余韻が残った。身体の振動として。

こういう営みこそが、いのちをつなぐ、行為なのだろう。

『利休—江之浦』 企画・監修:杉本博司 作者:馬場あき子 演出:浅見真州 囃子作調:亀井広忠 茶の湯監修:千宗屋

 

豊臣秀吉が小田原攻めを行い小田原北条氏(後北条氏)を倒して日本統一を果たしたのは1590年(天正18年)のこと。

杉本博司さんがふと立ち寄った江之浦という土地は、利休が秀吉の小田原攻めに同行したとき、茶室の庵を作った土地の近くであった。 利休は、その場にあった竹を使って「竹花入れ」を作り、それは名品として今まで大切に伝えられてきた。

その事実は、美は創造するものではなく発見するものであることを示している。その場に隠れているものを掘り起こし、大いなるものを発見することこそが、美に通じるのだ。

その利休も、小田原攻めの1年後の1591年(天正19年)には切腹を命じられてこの世からの退場を余儀なくされた。利休の思いはいかばかりのものだっただろう。

そんな利休の「竹花入れ」は、ほんの偶然から杉本さんの手に渡ることになり、今回の新作能につながる。偶然は必然を感じるための要素である。

場所の歴史と記憶。 物自体の歴史と記憶。

場所も物も過去のものだが現在に重なっているものである。 死者も同じ。死は過ぎ去ったものではなく、古層から生を支えながら重なっているものだ。

そうした「時の溶解」を芸術まで高めたのが能楽であり、杉本さんはこうした様々な出会いと因縁から、新作能『利休—江之浦』を作られたようだ。 江之浦は、出会いが起きた土地の名前であり、利休の「竹花入れ」に杉本さん自身がつけた名前でもある。

シテ(主役)は千利休の亡霊。最初は炭焼きの老人に仮託して登場し、後にそれは千利休の亡霊であることが判明する。 利休の霊は、茶の湯の道の真髄を語り、秀吉への思いを吐露し、無実の罪で殺され無念を訴え、舞い、消える。

観客は利休の思いを受け取る。 観客の意識の構造も謡いや音とで溶解されているため、死者の思いも素直に受け取ることができる。そうして利休のいのちは観客に配分される。

最後に地謡(コーラス)が合唱し、その余韻を空間に残しながら能の儀式は終わる。

地謡 「かくて利休の亡魂(ボウコン)の、かくて利休の亡魂の、 声天空にひびきつつ、遠ざかりまた、去りやらぬ、 執心残す有様は、菅丞相(*→菅原道真のこと)の雷神に、なりしにいかで、劣るべき 面影もその声も、波の彼方に消えゆけど、 夢かうつつか消えかぬる、 忠興の心のうち、思ひやることあはれなれ、 江之浦に、侘(た)ち尽すこそあはれなれ」

能を見た後では、自分と利休との関係性は変容する。自分が利休と何かの糸で結ばれるのだ。

 

能舞台は、橋掛かりがあり、その先に四角形の舞台がある。 橋掛かりの先は、この世ではなくてあの世の接点である。 一本の橋でかろうじてつながっているのが大事なことだ。まだ通路は残っている。

橋掛かりの下には本来三途の川が流れているから、見ている人たちが内的イメージを重ね合わせる必要がある。風景は観客が参加しないと完成しないのだ。

あの世の世界は無関係な世界ではない。誰もがいずれ行く場所。一本の橋でかろうじて通路が残っていて、そうした極限の空間で演じているのが能舞台だ。

能舞台はあの世とこの世の境界であり接点でありあわいの世界だから、そこでは現実世界を定位する時間や空間の概念が溶解する。だからこそ千利休の亡霊も訪れることができる。利休は生きている人たちに向けて思いを吐露することが出来るし、観客もその思いを一対一で受け取ることができる。そうして通常の時を超えるには、特殊な舞台設定と、特殊な意識の状態としての前準備が前提になる。だから能楽ではあのような舞台設定と音空間になっていったのだ。

能舞台には最初何もない無の空間。虚の空間と言ってもいい。

全員が橋掛かりを渡って舞台で演じ、最終的には橋掛かりから全員がこの世に帰還してきて、何もない無の状態になり終わる。 無で始まり無で終わるが、時間が溶解した非時間の中でこそ、利休のいのちは観客に受け渡される。厳しい修練を経たプロの能楽師たちが媒介となるからこそ、そうした変容が起きるのだ。

今回は、千宗屋さん(武者小路千家15代家元後嗣)の茶事が間に実演された。そのお手並み・所作も素晴らしかった。 茶道でも身体技術が「型」として伝えられている。能楽師の「型」の世界と同居しても何の不思議も不自然もなかった。むしろ、違う時の流れがパラレルに同居していた。

通常の能楽では見られないこうした遊びの演出が、杉本さんの粋(いき)を感じる演出で、それもまた素晴らしいものだった。こうして伝統も少しずつ革新が付与されていくのだろう。

 

『利休—江之浦』の上演では、深く心を動かされた。

最後に利休を遠く眺める細川忠興の遠い視線は僕らの身体もかなたに連れていくかのようだった。

体内の構造の何かがどこかで変化しているのを感じた。

その余韻を感じながら熱海に住む友人たちと熱海界隈と伊豆山神社に詣でた。

この伊豆山神社は、役小角(修験道の始祖)が伊豆大島へ流されたときに修行した場所ともされる。空海が修行した伝承もある。多くの修験者や仏教者が修行を積んだ霊場であり、源頼朝と北条政子が結ばれた場所でもある。また、源頼朝が伊豆に流されたときに、この地で源氏再興を祈願した源氏の聖地でもあった。 その後、小田原の北条氏の篤い崇敬も受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した。そうした悲しい歴史もある。

歴史ある土地には、光も闇も生も死もすべてがあり、そのすべてを静かに受け入れ、今生きる人たちが見出して何かを受け取っていくことを静かに待ち続けているようだ。

能楽は、そうしたいのちの受け渡しを、芸能として秘された形で伝え続けている稀有な芸能だと思う。

自分は3.11の震災のときに、医療のボランティアで福島を何度も訪れた。その土地で鎮魂の必要性を強く感じた。死者の実在をその土地で感じたからだ。大切なものを受け取り、次に伝えてほしいと。 何かを学ぶことと、何かを生きることは違う。 自分は、伝統を学ぶのではなく、伝統を生きたいと思った。

その体験こそが、自分が能楽を学ぶ契機となっている。 3.11が近くなるたびに、そういうことを思い出す。

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