「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」
「暗いと不平を言
うよりも、すすんで灯りをつけましょう」
子供のとき、テレビで聴いた記憶がある。さきほどふと浮かんできた。子どもなりに、いい言葉だと思っていた。 記憶の糸をたどってみたら、色々なことを思い出した。
個人的な記憶とは別に、集合的な記憶であるインターネットで出典を調べてみたら、『心のともしび』というラジオとテレビで放送されていた、宗教法人カトリック善き牧者の会によるカトリック系布教番組が出典だった。 ラジオ版『心のともしび』は1957年に京都放送で放送開始。 アメリカ人司祭ジェームス・ハヤット(James Hyatt、1922-2009年)神父が私財を投じ、自ら企画出演するミニ番組だったが、協賛者を得て徐々にネット局を拡大したとのこと。1998年4月まで、日本テレビで放送されていたよう。 まさに、少しずつ「灯り」が広がっていった、ということか。
子どものとき、この番組を見てこの言葉がずっと頭の中に残っていたようだ。 子どもは子どもなりにいろんな言葉を受け止めて生きている、ということは、自分の中にある過去の時間や記憶の地層と対話していると、自分の中から日々そうした発見がある。
自分は特定の宗教には属していないが、幼稚園はなぜだかカトリック系に行っていた。
幼稚園の先生は全員が「シスター」といい修道女だった。白を基調とした白と青の衣装。 「シスター」たちの在り方が、とても心地よかったのを覚えている。 子どもは子どもなりに、1日に1日を常に異なる日として、発見と創造の日々で生きていたことをふと思い出す。
個人の記憶の糸をたどってみた。なぜこの言葉を覚えていたか・・・。 はじめて「いじめ」という現象を目撃した時、自分は自分なりに悩んだ。 そのとき、「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」の言葉を実践しようと、もがいていたのを思い出した。 感情と言葉とがそうした形で強く結びついていた。
ブログでも色々と書き続けていることも、「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」の一貫なのかもしれない。
黙って「灯り」を灯し続ける多くのひとたちにも、エールを送りたい。