鉄輪温泉の湯けむりと谷の湯
ちょっと前の旅の記録。
大分の別府駅からすぐの鉄輪温泉。
別府にある八つの温泉郷、別府八湯(別府温泉、鉄輪温泉、浜脇温泉、観海寺温泉、堀田温泉、明礬温泉、柴石温泉、亀川温泉)の一つ。
鉄輪温泉の素晴らしいところは、昔風情の湯治場の趣が残っている所。時間がゆっくり流れている。
そして、湯けむりがすごい。
湯けむりは、温泉の微粒子、ガス化なので、ここに暮らす人は温泉に入らなくてもただいるだけで温泉に入っていることになってしまう。
しかも、経皮吸収は静脈注射と同じくらい!の吸収効率とされているので、ただ住んで暮らして呼吸して佇んでいるだけで、ミネラルを取り込めるというのは素敵な話だ。
まさに未来の医療ではないか。








すじ湯前でオープンしたおかみ丼丼和田さん。
和田さんの笑顔も素敵だ。
いい温泉に美味しい食事、いい人が揃えば、これ以上の楽園はない。
しかも。
モクモクと地球のエネルギーを受け取りながら!


鉄輪温泉での「谷の湯」も素敵だった。
確か150円くらいだっただろうか。
上の家でコタツに座って寝ているおばあさんがいる。そのお宅にお金を置いていく仕組みだ。デジタル社会の波は、湯治場には似合わない。SuicaやPaypayなんかは意味がなく、小銭がないと入れない。
人と人とが物理的に強制的につながる仕組みが、湯治場の素敵なところだ。
そして、「谷の湯」と言うだけあって、本当に「谷」みたいな地形にあり、その素朴なネーミングセンスにも心をうたれる。
1時間入っても誰も人が来ないので中で写真をとらせてもらった。
というのも。
この温泉には不動明王様が鎮座されている。(男湯にある源泉の上に鎮座されている)
生まれたままのスッポンポンで不動明王と対峙できる空間はなかなかない。身も心も裸になると、エンマ大王の前にいるようで嘘がつけない。人生において嘘をつくべきではないと、肌身に染みて学ぶことができる。
監視カメラが見ているから、ではなく、神仏が見ているから、という神仏の視点が内在化することこそが、人間の倫理の源泉ではないだろうか。
ずっと不動明王に見守られるのも悪くない。最初は怖い気もしたが、少し経つと、怖くて厳しい身内のように感じられてくる。
まさに温泉は神仏の働きとか言えないもの。
岩からお湯が湧く。この神秘と歓喜は、神や仏の表象として表現せざるを得なかった。
温泉と神仏は一体化したものだ。物事を分離・分断せず、統合的に全体的にとらえる必要がある。
この自然、この命、あらゆる全ては神仏の働きと関係があると思えれば、この厳しい人生もそう悪くはないはずだ。






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