藤本壮介さんと仏性
- inaba

- 8月28日
- 読了時間: 5分
藤本壮介さんご本人から「藤本壮介の建築:原初・未来・森」(森美術館)の解説を受ける光栄な機会を得て再訪。つい先日、3時間くらいかけて展示を見て予習していたので、さらにより深く理解できた。



わたしが藤本壮介さんを別格に位置づけているのはいくつかの理由がある。
東大の建築科を出て、有名建築事務所にも就職もせず、大学院にも行かず、留学もせず、何の役割にも自分をあてはめず、6年を過ごし精神の自由を獲得していたこと。その時間は建築という狭い概念ではなく、「空間そのものの本質」(建築のHOW?より哲学的なWHY?)を探求していた時期があったこと。深い井戸に降りた時期。
そして、精神科医である父(父は芸術にも造詣が深かったらしい)が、「閉じ込めず開放する」ことを理念に据えて、人を診ていたこと。父が精神科病院を経営していたので、ブラブラしている息子に精神科の病院の設計という、人間の魂に触れる最も難しい課題を与えたこと。精神科には人類の中で最もセンシティブな人たちがいる。最もセンシティブな人たちのために過ごしやすい場所を作ることは極めて困難な課題なのだ。あまりに難しい課題だからこそ、病院は無機質な空間を作ることでで処理してしまうが、そこに意匠(デザイン)や意図を介入させる以上、深い哲学と、愛こそが必要とされる。


そして、藤本さんがプリゴジン『混沌からの秩序』みすず書房 (1987)という本に学生時代、Inspirationを受けていたこと。なぜなら、私も学生時代に興奮して読んだから。かなり難解な本だったが、書き手が伝えたい本質的なもの、核にあった魂なるものは、私にも確実に伝わっている。医療職の人間にとっても学ぶことばかりだった。

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この世界では、秩序と非秩序(OrderとChaos)とがあり、自然界では「自発的な対称性の破れ」がおこっている。「自発的な対称性の破れ」で生じる構造を「散逸構造」とプリコジンは命名した。大きな対称性が破れると、局所や部分、小さなところでは必ず小さな秩序が生成される。それは「熱的なゆらぎ」による秩序とも言うべきもの。熱(火)のエネルギーがゆらぐことで部分や局所には常に小さい秩序が自発的に表れては消えてゆく。明滅するいのち。これは自然界の法則であり原理である。
そもそも、「いのち」自体が「宇宙」という巨大な平衡状態から遠く離れた「地球」という非平衡+開放系(open system=宇宙から見たら地球に壁はない)の上で生じたシステムとも言えるもの。
「いのち」は高度な情報体でもあり、自己組織化をおこし、独自の時間を持ち、内部に免疫、内分泌、神経などのスーパーシステムを発達させた。つまり、内部に「秩序」を生んだ。
これは、巨大な無秩序(宇宙)の中に局所的な秩序(地球)が現れ、地球自体もまた巨大な無秩序だが、その中に局所的な秩序(いのち)が現れる。
太陽という火のエネルギーの「熱的なゆらぎ」による秩序が関わることで、宇宙と地球、地球内部の人類。連関した入れ込状の「いのち」の階層が生まれてくる。
誰もが内部に燃えている「いのち」は、そうした地球や宇宙、太陽の秩序と非秩序が関係している。そんな夢想に浸らせてくれたのが『混沌からの秩序』という難解な書物(科学史であり哲学史でもあった)。藤本さんも学生時代に同じ本に衝撃を受けたと語っていた。深い建築哲学の根はそこにあるのではなかろうか。
「なぜ人はバラバラになり、そして集うのか」。
これはまさに散逸構造とも言えるもの。そうした生命活動に建築空間はどう関われるのか、と。
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ポテトチップスで作られた層状の作品がある。
これは、ポテトチップスを重ねることで隙間が生まれる。つまり空間が生まれる。しかも、この空間は枠で囲って生まれる現代的な閉鎖建築の考え方ではない。宇宙やいのちの原理に叶った開放系のシステムである。おのずから生成してきた余剰空間から、建築の発想を立ち上げている。
こうした余剰空間を人間の居場所と位置づける。そこに物理的な構造を付け加えることで有機的な建築を生成していく。
模型で作り空想するところまではできるかもしれない。
しかし、重力のある地球の物理的な空間の中で、巨大な建築物として具現化できるところが、藤本壮介さんのすごいところだ。それは技術。
わたしたち夫婦も、新築を建てるなら藤本壮介さんに依頼したいと、前々から話し合っていたほどファン。ただ、とりあえず軽井沢では中古物件を買ったのでお金もないのに無謀な依頼はせずに済みましたが!



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そんな四方山話よりも、藤本壮介さんとお話して一番驚いたのが、たたずまいが「仏」だったこと。
悟りはみずから開くものと言うよりも、おのずから開かれるもの。
その佇まいに、私は勝手に感動してました。
存在に付与した霊性の衣を身にまとうように。
このことは有名人だから、とか、そういうことは一切関係のないレベルの話で、人としてどう生きるか、という根本問題にかかわること。
精神科医である父が「閉じ込めず開放する」という、人間の魂に関わることを医療界で果敢に実践していた。父からの困難な課題を正面から創造的に切り開いた瞬間にこそ、天の岩戸(あまのいわと)が開き、霊性が付与されたのではないかと。一緒にいさせていただいて、私はそこに一番驚いたのでした。
藤本壮介さん、親切にたくさんご説明してくださり、ありがとうございました!











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