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白駒池 苔と緑と水と光

軽井沢(北佐久郡)から近いのになかなか行きだせなかった、南佐久郡の佐久穂町と小海町のあわいにある白駒池。

苔と光、水との調和が美しく。

苔の緑を介して、水は生命そのものだと、生命の美しさ、尊さ、だけではなく、儚さや死をも感じさせてくれる。












染色家、志村ふくみさんによると、「緑色」そのものは糸に染め出すことはできないと。

刈安(山野に自生するイネ科ススキ属の植物)などから「黄色」を作る。

黄色の糸に「藍」を掛け合わせて緑を作る。

刈安の黄染料は赤みを含まないため、藍との交染で鮮やかな緑色を出すことができる。


美しい緑の色は、闇(藍甕)と光(黄色)の混合によって生まれるのだ、と。












志村ふくみ『色を奏でる』

「やはり緑は生命と深いかかわり合いを持っていると思う。生命の尖端である。

生きとし生けるものが、その生命を限りなくいとおしみ、1日も生の永かれと祈るにも関わらず、生命は一刻一刻、死に向かって時を刻んでいる。とどまることがない。

その生命そのものを色であらわしたら、それが緑なのではないだろうか。」


シュタイナーも

「緑は生命の死せる像を表す」

「緑は生と死のあわいに明滅する色である」(『色彩の秘密』)

と述べているのは、そうした緑の本質、緑が闇(藍甕)と光(黄色)の混合で生まれるプロセスを言っているのだ、と思う。





ぼんやり眺めていると、木霊のような存在が見え隠れする緑の空間。


人間がこの地球の端っこに住まわさてもらっているという謙虚な気持ちを思い出させてくれる。

人が傲慢になる場もあれば謙虚になる場もある。自己が肥大する場もあれば自己が自然と一体化し融合する場もある。 やはり場の力は大事だ。





























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