新しい行動様式とは

雪は空気中の見えないホコリを洗い流すからなのか、雪の後に指す光の光線は、空気や空間をいつもと違う光の様相で貫通してくるなぁと思う。







当直中、TVをつけたら医療現場が大変だ、大変だ、という報道ばかりで気が滅入る。

情緒的なムードや空気をせっせと培養されているようで。「医療現場が大変だ」で伝えたい本当のメッセージは何なのだろうか、と。

もともと、医療現場は、困っている人や苦しんでいる人が大勢いる場所だから、真剣に取り組んでいればいつでも大変だ。なぜなら、それが日常なのだから。(でも、それはどんな場も真剣に取り組めば同じではないのかな。職場でも教育の現場でも飲食店でも家庭の育児や家事でも・・・)

医療現場で、忙しくなかった人が忙しくなったり、人生の想定が崩れた人が、大変だ、大変だ、と言っているにすぎないんじゃないかなぁ。誰のどこが基準か、という相対的な違いに過ぎなくて。

「大変だ大変だ」ということが習慣的な儀式のようになっている人は巷に多く。

自分はすべきことをし続けながら、日々を淡々と過ごしている。

表面に惑わされず、本質的な課題を解決し続けていくことが、プロの仕事なんじゃないのかな、と。

自分は誰かと仕事を比べることはしないので、忙しいのか忙しくないのかはよくわからない。昨日と今日の違い、くらいしかわからない。

ワクチンをうてばすべてが解決する、という報道ばかりも情緒的なムードや空気を培養しているようで、ずれてる気がする。強い違和感が残る。この違和感の源はなんだろう?

地球や自然に対してどれだけ本気で行動を変容できるのか(それこそが新しい行動様式では?)、そのことこそがわたしたちの暮らしの喉元に突き付けられた刃のはずなのに、何か別の短期目標に巧妙にすり替えられて、本質的な課題が煙に巻かれていく。過去、こうしたことは何度も繰り返されてきた。電気自動車に変わればエネルギー問題は解決するの?という報道も似ていて。

自分は権威主義は信じない。偉い立場の人が言ったからとかは根拠にしない。発言者の見えざる哲学をこそ、尊重する。見えざる哲学は生き方や人生という表現として反映されてくるもので。





自然の原理を中心に据えて、考え続けて創造し続けていくしかない。なぜなら、自然はニュートラル(中立)だから。自然は特定の誰かの損得には決して偏らない。人間の言説は常にバイアスやフィルターが含まれ、偏ってしまうもの。そうしたわきまえが必要で。それは自戒も含めて。

事実の背後を読み解きながら、遠い未来と光の先をしっかりと見据えながら、「犀の角のようにただ独り歩め。」( 『スッタニパータ』より)と、ブッダの声が聞こえてくる。

100メートル走のように、それぞれが自分の人生のレーンを全力で走り抜ける。馴れ合いではなく、手を抜かず、嘘をつかず。


しっかりした個が育たないと、人間が作ったシステムに自身が飲み込まれてしまうのではないか。

進化したAI(人工知能)にとっては人間が「ノイズ」だと判断され、消去されるのではなかろうか?