top of page

伝統食は、土地といのちの記憶である。―長寿県・長野から考える食とウェルビーイング

4 日前
読了時間: 4分

長野大学で「長寿県長野―ウェルビーイングな暮らしと伝統食の可能性」というテーマで講義をしました。

新校舎もできたばかりで、通っている学生さんも羨ましいですね。



長野県は、日本有数の長寿県です。平均寿命は男性全国2位、女性4位(2020年)。さらに、介護を必要とせず自立して暮らせる期間を示す「平均自立期間」は、男女とも全国トップ(2024年)。


なぜ、長野県では人々が健やかに長く生きられるのでしょうか。

その答えは、医療だけではなく、土地の自然、日々の暮らし、食文化、そして人と人とのつながりの中に隠されているように思います。



今回、特に注目したのは「伝統食」です。


■伝統食は、自然の制約から生まれた知恵

長野県は海のない山国。標高差が大きく、冬は厳しく、地域によって気候も大きく異なります。

しかし、こうした自然の制約こそが、独自の食文化を育ててきました。

たとえば「野沢菜漬け」。


野沢温泉では、温泉の湯を利用して野沢菜を洗う「お菜洗い」という文化があります。温泉が単なる入浴施設ではなく、生活を支える資源だったのです。


「おやき」は、季節の野菜や山菜を小麦粉などの皮で包んだ郷土食。春は山菜、夏はナス、秋はカボチャ、冬は野沢菜。

その土地で、その季節に採れるものを食べる。皮で包むことで、少量の食材も大切に分け合える。



「凍り豆腐(凍み豆腐)」は、冬の寒さを利用した保存食。豆腐を凍結・乾燥させることで長期保存を可能にし、大豆のタンパク質を食卓へ届けます。


「凍み大根」も同じ。凍結と乾燥を繰り返すことで、冬の寒さを保存技術に変えてしまう。



自然に抗うのではなく、自然の力を借りる。

そこには、現代のサステナビリティにも通じる思想があります。




■干し柿に隠された、小さな科学

市田柿に代表される干し柿も、実に興味深い食文化です。

渋柿が渋いのは、水溶性のタンニンが口の中のタンパク質と結びつくため。

ところが、干す過程でタンニンが不溶化すると、渋みを感じにくくなります。同時に水分が減り、糖分が濃縮される。

あの白い粉の正体も、主に表面に析出したブドウ糖などの糖です。

つまり、干し柿は「渋みを抑え、甘みを引き出す」自然の化学実験。


昔の人々は、分子構造を知らなくても、自然を観察し、経験を重ねることで、その仕組みを暮らしに取り込んでいました。





■発酵とは微生物との共同作業

信州味噌も長野を代表する食文化です。長野県は全国のみその生産量で約半分を占めます。

味噌づくりには、麹菌、酵母、乳酸菌など、多様な微生物が関わります。

人間がすべてを制御するのではなく、目に見えない微生物の力を借りて、食材を変化させていく。

近年の研究では、発酵食品を取り入れた食生活が腸内細菌叢の多様性や炎症指標に影響する可能性も示されています

発酵は人間が微生物とともに生きてきた壮大な歴史そのものだと感じます。



■川魚と昆虫食

海のない長野では、コイやフナ、イワナなどの川魚が貴重な栄養源でした。

さらに、イナゴ、蜂の子、ざざむしなどの昆虫食。

世界では今、昆虫食が環境負荷の小さい未来の食資源として研究されていますが、信州では昔から身近な食文化でした。

「食べられるもの」と「食べられないもの」の境界は、実は文化によって異なります。

食文化の多様性は、人間が自然環境に適応してきた歴史でもあるのです。





■食べることは、つながること


医学的に考えると、食事は栄養素を摂取する行為です。

しかし、人間にとっての食事は、それだけではありません。

食材を育てる人、料理する人、食卓を囲む人。食べ物には、自然と人間の無数の関係が折り重なっています。


「身土不二」という言葉があります。

身体と土地は切り離せない。


また「医食同源」という言葉は、日々の食事そのものが養生につながることを教えてくれます。


伝統食の価値は、栄養だけではありません。

①栄養 ②文化と記憶 ③人との関係 ④地域の生業

この四つの価値が、ひとつの食卓に宿っています。


伝統食を未来に残すことは、単に昔の料理を保存することではない。

土地の自然を読み解く知恵を残し、つくる人と食べる人をつなぎ、地域で生きる力を次世代へ手渡すことでもあるのでしょう。


講義の最後には、こんな問いを投げかけました。

「食べることの本質とは何でしょうか?」


私にとって、食べるとは、他のいのちを自分のいのちへと迎え入れること。

自然とつながり、からだを知り、人と結ばれ、受け取ったいのちを未来へつなぐこと。


一杯の味噌汁にも、一つのおやきにも、土地の風土と、先人たちの祈りが息づいています。


食べることは、いのちのつながりを思い出すこと。


長野の伝統食には、これからのウェルビーイングを考えるための、豊かなヒントが詰まっていると思います。

コメント


© All right reserved TOSHIRO INABA

bottom of page