いのちの居場所は移動し続けている

今まではリモート授業が多かったが、今日は久しぶりに東京の市ヶ谷に出て、武蔵野美術大学の学生への授業。社会をつくる、ということに関する授業で、トビムシの竹本さんから。


学生さんたちの自由な感性と率直な態度が素晴らしいと思った。

こうした自由な感性や創造の芽を自由に育てていけるような、可能性を壊さないような場を準備することが今のわたしの課題だと思う。





『健康とは何か』と、みなさんに問いかけた。

多くの人は、『自分が決めるもの』という答えを持っていた。

誰かが決めるもの、誰かに決められるものではない、と。その通りだ。物差しは自分にこそある。わたしもそうした思いを持って医療職に従事している。



そこで次の疑問が起こる。

『わたしたちの個の決断は尊重されるべきだ。ただ、それは本当に個としての判断なのだろうか、実は場の影響を受け、個の判断に見せかけた場の判断という可能性はないのだろうか』と。



人が集えば場が生まれる。わたしたちは常に場の影響を受ける。時に場の支配下になる。

もし、生きている場自体が、『生きている価値がない』と思える場に変容してしまったら、わたしたちは『個』としての判断を適切に行えるのだろうか、と。そうした懸念が、医療従事者として常に持っている。



世界が力による支配の考えを推し進め、戦争に明け暮れていた時、日本も戦争に巻き込まれた時代があった。そうした場が支配した中で、どれだけの人が個としての判断を行えたのだろうか、と思う。この感染症の時代しかり、他国での戦争が世界中を不穏の渦に巻き込もうとしている今の時代もそうだ。


場の様相は、あっという間に光から闇へと転換しうるし、それは逆もしかりだ。場の犠牲者は多い。

わたしたちは、闇が場を支配する時代の中で、個の光を保ち続けることができるのか。いのちの光源で自分を照らし、他者を照らし続けることができるのか。


虚無や孤独という穴の中に落ち込んだとき、そこで照らされる光はどこから放たれるものなのか。




学生さんのキラキラと放たれる瞳の光は美しい。

生きる場の全体が闇に覆われてしまったときに、瞳から放たれるいのちの光が消去されないよう、場をともにつくっていく必要があると思う。そうしたことが、「屋根のない病院」という言葉に込められている。

今回の講義は『屋根のない病院をともにつくる』にしたが、そうした思いが根底にある。







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武蔵野美術大学の市ヶ谷キャンパスは、わたしが18歳の時に浪人時代を過ごした場所だ。駿台の市ヶ谷校舎がここにあった。

久しぶりに近くに立ち寄り、ふとこのY字路を思い出した。

左手には神社がある。右手には予備校がある。自分は18歳の当時、このY字路に立った。





Y字路は常に目の前にある。

Y字路で、日々どちらかの道を選択して生きているが、道を選択していること自体に、わたしたちは気づいていない。個の判断で道を選んでいることもあれば、場の支配下・場の影響下で、無意識に進む道を選んでいることもある。

知らないうちにY字路から闇の深みへと足を踏み込んだとき、そこで自分のいのちの光源が見つからない不穏な場所であったら、光はどこから、誰が照らすのか。


若い人たちにわたしができることは、いのちある場をともにつくること。

生きることの喜びや、生きることの可能性を追求できる場をともにつくることしかない。それは小さい光を集めることだ。



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18歳に立ったY字路をふと目にした。20年以上の時の流れが波のように押し寄せた。若い学生の眼差しを鏡として、なにものでもない過去のわたしと出会った。過去と現在と未来とは、複雑な合わせ鏡として自分の全体像を構成している。



生きていると、人は他者からいろいろなラベルが貼られていく。カテゴリーに入れた方が分かりやすいからだ。

ただ、自分自身のいのちの核は何も変わっていない。ラベルは時にはがされる必要がある。そうした自分自身のいのちの場所に降り立ち、この尊い1日という日を、神聖な日として受け取りなおす必要が、あるのではないか。


人が亡くなった、ということは、代わりに『いのち』を受け取った、ということだ。

自分は、しっかりと『いのち』を受け取りたいと、思う。それが生きているものに課せられた役割だ。


いのちの居場所は、そうして移動し続けているのだ。