

『映画を撮りたいゾンビの演劇』@東京芸術劇場(作・演出:岡田利規)
東京芸術劇場シアターイーストで、岡田利規さん作・演出の『映画を撮りたいゾンビの演劇』を観た。 とても面白かった。 舞台に現れるのは、映画を撮りたい5人のゾンビたち。 しかも彼らがつくりたいのは、人間がゾンビを描いた映画ではない。 「ゾンビの、ゾンビによる、ゾンビのための映画」である。 この設定だけで、すでに世界が反転している。 私たちは普段、ほとんど疑うことなく「人間」の側から世界を見ている。 ゾンビは異常な死者でもあり恐ろしい存在で、人間はあくまでもその対岸にいる。 この舞台では、その境界線を少しずつ壊していく。 岡田利規さんは、チェルフィッチュを率いて、言葉と身体の関係、俳優と役柄の関係、舞台と現実の関係を組み替えながら、「そもそも演劇とは何なのか」を問い続けてきた演劇家だ。 2026年4月には東京芸術劇場の舞台芸術部門芸術監督に就任し(音楽部門は、なんと山田和樹さん!)、この作品が就任第1作となった。ドイツ・ハノーファー州立劇場で初演された『Sliding Away』を、日本版の俳優・スタッフによって新たに立ち上げた作品でもある。...


『ちびまる子ちゃんゲーム おこづかいちょーだいの巻』
リサイクルショップに行き、昭和レトロゲームを少しずつ買い集めている。 昭和レトロなボードゲーム『ちびまる子ちゃんゲーム おこづかいちょーだいの巻』。1990年前後のアニメ放映初期に、タカラから発売されたファミリー向けのボードゲーム。 もう30年以上前のものだが、格安で発掘。 たいしてどこにも行かない夏休みに、家族で遊んでいる。 さくらももこファンにはヨダレものだった。 当時、我が家にもあった記憶がある。 →【参考】:「さくらももこ展」@松本市立博物館 サイコロを振り、駒を進め、おこづかいをもらったり失ったりする。仕組みは驚くほど単純だ。しかし遊んでいるうちに、これは単なる娯楽ではなく、人間社会を小さくした装置なのではないかと思えてくる。 デジタルゲームでは、ルールの判定も計算も進行も、機械が見えないところで処理してくれる。 ボードゲームでは、自分たちでルールを理解し、順番を待ち、相手の手を読み、ときには曖昧な出来事を話し合って決める。勝って喜ぶ人の隣には負けて悔しがる人がいて、その表情まで含めてゲームなのである。 AIが「正しい答え」を高速に提示


青山ブックセンター(ABC)夏の選書フェア
そういえば。青山ブックセンター(ABC)夏の選書フェア。 私もこの夏の一冊を選定しています。 私が大大大大尊敬するあの方の本です。 夏の選書フェアは12年目を迎え、今年は360人が選んでいます。フェアで5,500円(税込)以上の購入で、コメント掲載の冊子をもらえるようですので、青山に行く機会に、ネットではなくリアル書店でぜひ。 9月30日までの開催予定です。 どうぞよろしくお願いいたします。 https://x.com/Aoyama_book/status/2085581875180122198 https://www.instagram.com/p/DbucE4ikgnc/?igsh=NDEyZWNsZTN0Z2Q0 青山ブックセンター 東京都渋谷区神宮前5丁目53−67 コスモス青山地下 2階 https://aoyamabc.jp/


「奇才の画家 サルバドール・ダリ版画展―奇想の迷宮―」@南アルプス市立美術館
南アルプス市立美術館で、「奇才の画家 サルバドール・ダリ版画展―奇想の迷宮―」を見た。 私は昔からダリが好きだった。だから、山梨でも当然、足を運ぶ。 大学生の頃、バックパッカーとしてスペインを旅したことがある。バルセロナから列車に乗り、フィゲラスへ向かった。目的は、ダリ劇場美術館だった。 建物そのものが巨大な作品のような、あの奇妙な場所に足を踏み入れたときの感覚を、今でも覚えている。美術館というより、ダリという一人の人間の頭蓋骨の中へ入っていくようだった。 今回、久しぶりにまとまったダリの作品を見ながら、そのとき感じた奇妙な感覚が蘇ってきた。 ダリは「奇才」「シュルレアリスムの巨匠」と呼ばれる。 もちろん、それは間違いではない。 けれども、ダリを単なる奇抜な人として理解すると、その本質を見失うように思う。 むしろ彼は「現実とは何か」を異常なほど真剣に考え続けた人だったのではないだろうか。 興味深いのは、ダリが科学に強く惹かれていたことである。 精神分析、数学、物理学、原子物理学、DNA。時代の最先端にあった科学的知見を貪欲に吸収し、それを自らの芸


イメージは、どこへ行くのだろう――浅間国際フォトフェスティバル「After the Image」を歩いて
浅間国際フォトフェスティバル2026 PHOTO MIYOTAへ行った。毎年足を運んでいる。御代田は軽井沢のすぐお隣。 今年のテーマは、「After the Image――イメージのその後」。 写真は、シャッターを切った瞬間に完成するのだろうか。展示を歩きながら、そんなことが頭に浮かんだ。 写真は、ある瞬間を切り取るものだと思われている。しかし実際には、その瞬間から写真の長い旅が始まる。誰かに見られ、記憶され、忘れられ、別の時代に発見される。複製され、加工され、ときには本来とは違う意味を与えられる。 そう考えると、写真とは「過去を保存するもの」というより、過去から未来へ送り出された、小さな舟のようなものなのかもしれない。 今回、とりわけ印象に残ったのが石橋英之の《Trails》だった。 https://asamaphotofes.jp/exhibitions/02-%E7%9F%B3%E6%A9%8B-%E8%8B%B1%E4%B9%8B/ 石橋は、古典写真技法と現代のテクノロジーを行き来しながら、アーカイブやファウンドフォト、物質そのものへの実


「束芋画 国宝」後期展示@ポーラ ミュージアム アネックス
銀座のポーラ ミュージアム アネックスで、束芋「束芋画 国宝」展の後期展示を見た。 →●前期展示の感想 束芋さんの作品を見ていると、いつも「私たちは何をもって人間を見ているのだろう」と思う。 今回、ことさら印象に残ったのは、顔がないことだった。 人間を描くとき、私たちはどうしても顔を見ようとする。 顔からその人の感情を読み、性格を想像し、喜びや悲しみを理解しようとする。肖像画の歴史もまた、顔を通して人間の内面へ近づこうとしてきた歴史だったのかもしれない。 ところが束芋さんの世界では、顔が消えている。 それなのに、不思議なほど「人間」がいる。 むしろ顔がないことで、その人が何者なのかという社会的な情報が剥がれ落ち、もっと深いところにある人間そのものが現れてくる。 肉体を描いているようで、肉体を描いていない。 そこにあるのは、皮膚の下に隠されていた記憶や感情、欲望、不安、孤独、あるいは死者の気配のようなものだ。 人間の身体を借りながら、束芋さんが描いているのは、霊魂の側から見た人間の真実なのではないか、とさえ思った。 そして、その世界を支えているのが


湯治文化 温泉の楽園 松本@松本市立博物館
松本の街を歩いていると、ときどき不思議な感覚になる。 目の前には城下町の整然とした道があり、少し顔を上げれば、その向こうに北アルプスの山々が連なっている。人間がつくった街と、人間よりはるか以前からそこにある山。その二つが、同じ風景の中に静かに収まっている。 けれども、松本という土地を本当に理解するためには、目に見える風景だけでは足りない。その地下には、もう一つの松本がある。 火山があり、断層があり、複雑な地質がある。何万年、何十万年という時間をかけて、大地の内部を水がめぐり、熱を受け、岩石の成分を溶かし込み、再び地上へと戻ってくる。 それが、温泉である。 温泉とは、単なる「温かい水」ではない。地下深くに隠されていた土地の記憶が、液体となって地上へ現れたものだ。 松本市立博物館の常設展示も素晴らしかった。 松本市立博物館の展示を見ながら、松本はまさに「温泉の楽園」だったのだと知った。 明治時代につくられた温泉番付には、全国409か所もの温泉が並んでいる。その中には、浅間温泉、白糸の湯と呼ばれた現在の美ヶ原温泉、そして白骨温泉など、松本周辺の名湯が名


「さくらももこ展」@松本市立博物館
「さくらももこ展」@松本市立博物館に行った。 我が家族は、「ちびまるこ」「コジコジ」の大ファンである。 私も小学生のころから、さくらももこファンだ。 さくらももこ展を見ながら、あらためて不思議に思った。 なぜ、こんなにも長いあいだ、さくらももこの作品は古びないのだろう。 『ちびまる子ちゃん』に描かれているのは、決して特別な世界ではない。 世界を救う英雄もいなければ、大事件が起きるわけでもない。 学校へ行き、宿題を忘れ、家族に叱られ、友だちに嫉妬し、くだらないことで笑い、時にはひどく落ち込む。 そこにあるのは、誰の人生にもあるような「たいしたことのない出来事」ばかりだ。 けれども、さくらももこの目を通すと、その「たいしたことのなさ」が、突然、人生そのもののように見えてくる。 さくらももこは、人間を美化しなかった。 子どもは純真で、大人は分別がある、というような描き方をしない。 子どもはずるいし、怠けるし、見栄を張る。 大人もまた、嫉妬し、失敗し、妙なことにこだわる。 家族だからといっていつも愛し合っているわけではないし、友だちだからといっていつも仲


8/20(Thr)(19:00-19:30):「保護者のリアルな声を聴く かざこし と」(Insta Live)
軽井沢風越学園(かざこしがくえん)ってご存じですか? 2020年4月に軽井沢町に開校した、幼稚園から中学校までの13年間(2歳〜15歳)の一貫教育を行う私立の「幼小中混在校」です。本城慎之介さん(楽天の創業メンバー)によって設立され、義務教育学校と幼稚園を一体化した新しい形態の学校として注目を集めています。 広大な森をキャンパスと見立てて、野性的で混沌としたカオスなところ、あまり子どもをコントロールしようとしていないところが気に入っています。 そもそも、私が長く勤めていた古巣の東大病院を辞めようと決断したのも、この学校の存在のおかげです。 子どもを自由に伸び伸びと育てたい。ダメとか禁止用語で縛りたくない。自然や宇宙から学び取るような地球とつながった環境で子どもを育てたいと思い、子どもが幼稚園に入るタイミングで直観的に軽井沢に移住することを決断したのです。決断時間は、軽井沢に着いて高原の空気を吸って、ほんの2-3秒だったと思います。笑 風越は、とてもユニークで楽しい自由でカオスな学校なのですが、より広く学園入園者を募るため、今年から学校でLive