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肉体性の喪失、関係性の喪失

福岡の津屋崎に。楽しみだ。

以前対談させてもらった山口覚さんの津屋崎ブランチを見に行くため。

 

津屋崎の話の前に。

ホテルに泊まり久しぶりにテレビを見たら、また不倫の話題をやっていた。

不倫の問題は個人の魂の問題に関わるから、そうした指摘や意味の探求をこそ、報道には期待したい。

男性にとって、魂は女性の姿をとって内界にあらわれる。

なぜなら、異質なものが統合されていくことが創造のプロセスとしてあり、生き方が次のステップに来たときに、異質なものの象徴としての異性がイメージとして現れてくるから。内面はイメージ世界だから見えにくい。だから外界に投影させて人は認識しようとする回路が自然に生じる。フィードバック回路のように。

それは日常の中でも起きている。人間はつねに内界と外界の砂浜に立っているのだから。

男性に現れた女性像は、エロスの原理を体現して登場してくる。

なぜなら、その人が欠如した肉体性の喪失、関係性の喪失を取り戻すことが、象徴として動きはじめるから。人生の節目に、男性がエロチックな空想に悩まされ出すのは、無意識の全体性の働きなのだなら、ある意味では正常なメカニズムなのだ。

エロスは感情、ムード、愛や関係性、無意識へと開かれること、そうした全体や部分を表象としてイメージ体験させることで、意味を汲み取り、発見されることを目指そうとする。ある意味ではペルソナ(仮面)を破壊して再創造する働きすらある。

内界のイメージとしての愛や関係性の回復を男性が誤って解釈すると、不倫などの行為に引きずり込まれる(だからこそ私たちは日々の夢を大切にし自分のイメージと付き合うことが大事なのだ。外界と同じくらい内界のイメージを、一枚の絵画としてしっかり鑑賞するように)。イメージ体験は思った以上に深い体験であり、道徳が意味をなさなくなる。真の芸術や芸能はそうした深い無意識を総合的に深く表現しているはずなのだが、、。

女性の場合は魂は男性の姿をとる。ロゴスの原理として、言語や論理や意見の表現をとる。不足しているものを補い合うようにして新しい創造を求め、無意識は活性化する。

男女が、ちょうど合わせ鏡になるのが陰陽の原理なのだろう。不倫は互いが別々の目的を持って現象化してくる。海面に、ふと海の主が顔を出すように。

不倫や浮気、薬物、こうした問題は、すべて魂に関わる個人の問題。

問題はまさに問いなのであって解決すべき問題で、外野でちゃかしたり、尊厳を傷つけ優越感を感じたりと異常なムードを醸成するのではなく、優しく創造的な人間理解への道へと、一刻も早く舵を切ってほしいものだ。問いから逃げずに。医学も心理学も哲学も、生きた学問のはずだから。

と、モヤモヤ考えていたら、津屋崎に着いた。 海沿いの町に行き、自分の無意識も活性化しているようだ。

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