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平等院と『あの世』

萬福寺と同じ宇治にあるので、世界遺産にもなった平等院にも訪れた。素敵な空間だった。

この鳳凰堂と周りの庭園は、はるか西の西の西の果てにある極楽浄土(あの世)と、そこに誘ってくれる阿弥陀如来とを観想(イメージ化)するために造られている。 ここは平安後期にイメージ化された『あの世』そのものなのだ。

訪れている99%の人がそう思っていないかもしれないが、足を踏み入れた瞬間、平安期に構想されたこの世とあの世の「あわい」の世界に足を踏み入れたことになる。 

あの世での仏の救済が平等である、ということから「平等院」という名前になっていると聞いた覚えもある。

10円玉にも、『あの世』のイメージ化としての平等院鳳凰堂が刻印されていて、その図像が、日本の資本主義経済の中で日々循環していると考えると、不思議な気がする。

平等院の中にも短時間だけ入ることができたが、正面に巨大な阿弥陀如来坐像があり、周囲を雲中供養菩薩が取り囲む。異空間であり異次元そのものだった。体感温度が少し下がった気がした。

雲中供養菩薩は、それぞれ楽器を持っていたのが特徴的だった。音楽が非常に重要なのだ。

以前、臨死体験をした人から、「あの世」を垣間見た時にはるか彼方から音楽が聞こえてきて、よく耳を澄ましてみると「だったん人の踊り」のメロディーだった、と聞いた覚えがある。

妙にリアルだったのを覚えている。

それは「あの世」としての「イデア」に触れていたのか。 だから、平等院の中に入ったとき、自分の脳内では、小澤征爾指揮の「ダッタン人の踊り」のメロディーが勝手に流れてきた。

■ボロディン:ダッタン人の踊り

■ダッタン人の踊り 「 歌劇・イーゴリ公=ボロディン」より

そもそも、「だったん人」というのが不思議な響きだ。

「だったん人(韃靼人)」とは、タタール人のことで、モンゴル系の遊牧部族のことを指す。

モンゴル系、テュルク系、ツングース系など様々な民族を指すので、ある特定の言葉で定義することを拒否するような流動的な人々を指す言葉でもある。

そして、この「だったん人の踊り」を作曲したのはボロディン(Borodin, 1833- 1887年)というロシアの作曲家だが、化学者でもあり医師でもあった。

もともと、有機化学の研究家として多大な業績を残している人だが、作曲は30歳になるまで正式に学んだことがなかったらしい。36歳の時から歌劇『イーゴリ公』に着手し、その中に「だったん人の踊り(ポロヴェツ人の踊り)」という曲がある。ボロディンは53歳の若さで亡くなっているし、化学者・医師としての活動がメインだったこともあり、あまり曲を作っていない。

だからこそ、「だったん人の踊り(ポロヴェツ人の踊り)」という楽曲が、天界から降ってきたようにボロディンに受胎した事実は、極めて神秘的なことでもある。

平安期の日本の文化は、全ユーラシアの文化がシルクロードを旅して、「日本」という器の中で混ぜ合わされ、日本という風土のスパイスが隠し味となり、創発していると思う。

太古の日本の音楽にも、そうしたユーラシア大陸を旅してきた様々な記憶が残り香のように感じられる。

そうした夢想にふけってみると、「平等院」というあの世とこの世のあわいの中で、不思議な集団である「だったん人(韃靼人、ポロヴェツ人、タタール人)」の踊りというメロディーが、時空を突き破って自分の中に流れ込んできたことも、腑に落ちる気がした。

■Polovtsian Dances

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