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『隅田川怒涛』 GOMA+稲葉俊郎:4/18(土)at築地教会

『隅田川怒涛』は、隅田川の南北約10kmをひとつの舞台と見立てた、音楽とアートのフェスティバルです。

春 2020年4月13日(月)〜4月19日(日)

夏 2020年8月17日(月)〜8月23日(日)

の二期で開催されます。








春バージョンの4/18土曜、築地教会でGOMA+稲葉俊郎のコラボやります。



教会に入る人数でのワークショップ?のようになるかもしれないので、その時はまた応募URLなどお知らせします。

とりあえず4/18土曜、4/19日曜辺りは自分もいろいろと登場しますので、その辺りに遊びに来てください!(インスタレーション含めたイベント自体は、4/13-4/19でやってます)



春の『隅田川怒涛』では、

・切腹ピストルズによる『隅田川道中』

・在東京外国人による『結』

・いとうせいこうらさんによる『口角飛沫』

・寺尾紗穂さんと角銅真実さんによる『あの日を歌に』

・GOMAさんと稲葉俊郎による『身体と音楽』

・蓮沼執太さんによる『浜離宮アンビエント』。

・イベント専用の遊覧船での船内放送

・サウンドインスタレーション

なども実施されます。


今後も素敵なアーティストが随時追加されていきますのでぜひお楽しみに!


ちなみに、

GOMAさんはDidgeridoo(ディジュリドゥ)奏者でもありますが、画家でもあります。


2009年交通事故に遭い、高次脳機能障害の後遺症で一時活動を休止されますが、突然、緻密な点描画を描きはじめ、その絵があまりにすばらしく、NHKでも特集、映画化もされ、高島屋で大規模な個展もされています。

以前、自分もGOMAさん個展の記事を書きました。




人間、いや生命にとって音楽や絵画などの芸術とはどういう意味があるのか?

まさにそうしたことをおひとりで体現して生きているのがGOMAさん。そしてGOMAさんを支える家族。


表層的な話ではなく、深い意識の世界と芸術の世界、生命の世界とがリンクする時間にしたいと思います。


それ以外の日にも、隅田川全体の10m(北は千住辺りから東京湾まで!)に及ぶ音楽イベントなので、川のほとりを練り歩きながら、時には遊覧船に乗りながら、楽しんでください!

自分もすごく楽しみにしています!




 



音楽とアートのイベント『Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13「隅田川怒涛」』春会期のラインナップが追加発表された。


4月13日から春会期が開催される同イベントは、江戸時代に随一の盛り場として様々な催しが行なわれていたという隅田川周辺を舞台に様々なプログラムを展開。夏会期は8月17日からスタートする。


新たに発表されたプログラムは、切腹ピストルズによる『隅田川道中』、在東京外国人による『結』、いとうせいこうらによる『口角飛沫』、寺尾紗穂と角銅真実による『あの日を歌に』、GOMAと稲葉俊郎による『身体と音楽』、蓮沼執太による『浜離宮アンビエント』。イベント専用の遊覧船での船内放送や、サウンドインスタレーションなども実施される。


メインビジュアルには、葛飾北斎が晩年に描いたとされる『怒涛図』と、小山泰介が『怒涛図』にインスパイアされて撮影した写真を併置。アートディレクターは川上シュン(artless)が務めた。イベントの日時、会場などの詳細は『隅田川怒涛』のオフィシャルサイトに随時公開される。





GOMA


 

すみだ北斎美術館での記者会見時の写真。














 

『隅田川怒涛』の記者発表は、すみだ北斎美術館


すみだ北斎美術館では『北斎没後170年記念 北斎 視覚のマジック 小布施・北斎館名品展』というのが開催されていて、北斎晩年の傑作、天井絵「鳳凰」「男浪」がやってきていた!

この絵は、長野県小布施町にある北斎館に展示されていて、研修医時代に長野県の松本に住んでいた時、わざわざ見に行ったなぁ!まさか両国でも再会できるなんて、驚き!




しかも、『隅田川怒涛』のメインビジュアルが、まさにこの北斎の「男浪(おなみ)」なのだから、さらにさらに驚き!!





『ダヴィンチの手記』を読むと、ダヴィンチもしきりに波の形態を研究しながら『水』を研究対象としていたし、北斎の波の絵もそう、横尾忠則さんも滝をテーマに一時描きまくっていた。

生命の源である水。水がぶつかりあってエネルギーを生み出し続ける不可思議な仕組みは、やはり興味がつきません。




すみだ北斎美術館には、自転車で行ったので、行きも帰りも隅田川を横断して、写真を撮った。

川もこうした小さい水滴の集合体が『川』として、ある種の錯覚のように見えているのだとすると面白いなぁ。そもそも、『水』というもの自体が、水滴というミクロの集合体なのだから、まさに生命そのもののようだ。













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