「RakuRaku DinoKun(ラクラクダイノくん)」
ジャンク品の中から発掘した「RakuRaku DinoKun(ラクラクダイノくん)」。


1990年代、「たまごっち」が社会現象になるほどのブームを起こし、なかなか手に入らなかった時代、その周辺には無数のデジタルペットが生まれた。「ラクラクダイノくん」も、そんな時代の空気をまとった恐竜育成ゲームの一つ。
本家たまごっちに比べて一風変わったお世話機能としては、快適な温度(25度など)に保つ「エアコン機能」。体が汚れたらシャワーを浴びせてキレイにする「シャワー機能」など。
いままた、「たまごっち」も再ブームらしい。
なのに、なぜだが我が家には当時でも亜流の「RakuRaku DinoKun(ラクラクダイノくん)」がいる。
いま遊んでみると、その簡素さに驚く。
小さな液晶画面。粗いドット。限られた動き。食事を与え、世話をして、恐竜が育っていく。現在のゲームと比べれば、そこにある情報量は圧倒的に少ない。
しかし、だからこそ面白い。
ラクラクダイノくんは、ほとんど何もしてくれない。
数個のドットが動くだけなのに、こちらは「お腹が空いたのかな」「元気がないな」と想像する。
つまり、情報が少ないぶん、人間の想像力が参加する余地がある。
これは、かつての玩具やゲームに共通する重要な特徴だったのではないだろうか。
さらに面白いのは、デジタルペットが「効率」と正反対の存在であることだ。世話をしたからといって何か生産されるわけではない。時間を使い、気にかけ、ただ育てる。
役に立つから世話をするのではない。そこに存在しているから気にかける。
たとえ相手が液晶画面の中の恐竜であっても、「自分以外の存在を気にする」という小さな感情が生まれる。
これはケアの本質ではなかろうか。
技術が未完成だった時代には、機械ができない部分を、人間の想像力が補っていた。
こうしたレトロゲームで遊ぶことは、機械が何でもしてくれるようになった未来から、もう一度、人間が参加する余白を取り戻す行為のようにおもえてくる。





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