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2024/45

あまりの多忙さと、元旦に起きた能登半島地震のため、2024年になっても何も書いていませんでした。



そうしているうちに1月の誕生日で45歳になりました。

45歳まで自分が生きれているというのは驚きです。

わたしは何度も何度も書籍の中で3-4歳の頃を思い出すように書いているのですが、あのときは1年くらい?長期入院をしていて、口や体中の粘膜がただれてしまい、口から食事もとれず、鼻から泥色のような経管栄養をいれてもらい命を保っていました。そして、そのことを色濃く覚えているので、本当にここまで生き延びてこれるんだ、と、驚きの気持ちと不思議な気持ちの方が大きいです。赤い糸でいのちの塊とつながれているような感覚です。

人間は物質的存在でもありますが、精神(心)や、魂?と言われる存在も三位一体で内在していると思うのですが、寿命が訪れると確かに肉体は滅びます。ただ、その時に精神(心)や、魂はどこに行くのか、共に滅びるなんてそんな単純な話なのか?ということを考えてみると、やはり物質的存在だけで「いのち」の概念を捉えることは私には難しく。そう考えると、いま生きているこの事実を厳かに受け止めながら、死しても生きる何かを自分なりに託しながら死と生をひとつとして生きていくしかないだろうと思うのです。


それは観念上の知的な遊戯では決してなく、物質世界だけではない巨大な「いのち」の手触りを信じて生きて行けるかどうかが、この辛く過酷な現実(ブッダは四苦と表現しました)の中で、自分の生きる道を強く信じて行けるかどうかなのか、とも思います。




元旦から能登地震が起きました。

どんな状況でも前を向いて歩いていかないといけない、と改めて思う年始でもありましした。

わたしは医療ボランティアには行けませんが、自分が与えられた役割の中で、しっかりと受け止めるべき何かを受け止めながら日々を一歩ずつ歩んでいきたいと思っています。


今年は辰年です。年賀状に何枚も竜の絵を描きました。竜のような力を持って生きないと潰れてしまう逞しさが必要な時代なのかな、と思ったり、竜のような大きなエネルギーが地球上をかけめぐる時代になるのかな、と思ったり、竜(龍、辰)のイメージが、自分の中に染み込んでくる年末年始を過ごしていました。

45。人生はまだまだ続きそうですが、そうは言っても何が起きるか分からないのがこの人生です。子どもの頃の自分に対しても誇りと礼節を持って生きて行けるように、2024年を送りたいです。


2025年の大阪万博も「いのち」がテーマです。わたしは「いのち」を中心にした時代になることを願っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。




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