自分Aが自分Xへと
自分は演劇や映画や絵や展覧会や音楽を体験したとき、感想を書くようにしている。
なぜか。
それはエネルギー保存則のようなもので、自分が受け取った時に感じたざわめきの行く先を探っているから。
一陣の風が吹くと、湖面に波が立つ。
どこかからどこかへと、湖面の波紋が広がっていく。
波は次第に全体を揺らし、全体は全体のまま形を変え、全体は別の相へと落ち着いていく。
揺らぎは、そこに確かにあったのだが、いまは別の相へと塗り替えられ、落ち着き、そこで何と何がやり取りされ、交換されたのか、わからなくなっている。
ただ、そこには何かしら、心や生命の全体性への働きが隠れている。
だから、そうした湖面や波面の全体の相をじっとみつめてみる。
自分の中に起きた地殻変動を無視せず、雲散霧消させず、言葉を媒体として変換作業を試みてみる。
それは失敗に終わるかもしれない。
ただ、自分Aが自分Bへと、自分Bが自分Cへと、、、語りかける対話にもなる。いつか自分Xへと至ることもある。
それは内的対話として人知れず行われている生命現象なのかもしれないが、無意識界と意識界とをすり合わせていく作業は、自分を知るまたとないチャンスでもあるのだ。