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そうして均衡をはかる夢

July 26, 2018

最近、ネットからとんとご無沙汰になってたのはわけがありまして、
実はつい先日、二年遅れの結婚式を熊本でやりました。
親族をメインとした小さな規模の式です。


妻のお父さんが謡曲をされていることもあり、
自分が猩々という能の仕舞をやり、お父さんに謡曲を。
そのあとには、二人で高砂の謡曲を唄わせてもらいました。


芸というのは、世代や関係性を越えてつながれる、いいものですね。
同じ「道」を進んでいる者同士、道の先の視点においてつながっている、と言いますか。

 


ちなみに、高砂は阿蘇の神主が高砂の浦にやってくるところから話が始まります。熊本と縁深い曲で、相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人生を言祝ぐめでたい能でもあるのです。

 

 


もともと予定していた式が、熊本の震災の影響を受けてずらしました。
熊本の震災は、熊本に住んでいる人たちの気持ちをひとつにしたと思います。


儀式も、そういうものですね。
多くのバックグラウンドを持つ人たちが、色々と予定を調整して同じ場に出会う。
そうした心をひとつにする儀式というのは、人間が生み出した知恵なんでしょうね。

 

 


式の翌日、すごい夢を見ました。

 


白い空間。
そこに自分が3人いる。
2人の自分は地下にいる。何か悪の象徴として存在している。
犯罪者のような、闇の世界の住人のような人物。

ただ、それも自分。
その2人の自分を、もう1人の自分が槍で刺し殺す。
1人は目を刺す、1人は喉を刺す。
縦に真っ二つに割れ、横に真っぷたつに割れる。


自分が自分を殺す夢。
でも、その夢を見ているもう1人の自分もいるはずだが、それは視点だけの存在。

 


恐ろしくて、目が覚めました。
ああ、生きている、と。
(ここからもう一度深く眠るのですが、そこでは妻に関する夢を見て、そこは割愛。神話のような夢だったことだけ。グリム童話のラプンツェルのような、ギリシア神話のメドゥーサのような。)

 


人が変化を起こすとき、何かが生まれるとき、そこには必ず死があるのでしょう。
かつての自分が死ぬから、生まれ変わる。
だから、何かが生まるとき、何かが死んでいる。
そうして均衡をはかる。


創造の方にばかり目をやらず、そこで失われる死に対して喪に服すのも大切なこと。

 

 

人生は確かに一度きり。
輪廻や生まれ変わりがあるとしても、基本的には人生は一度きり。
でも、常に人は生まれ変わっていて、一度の人生の中には複数の人生が入れ子状に織り込まれているらしい。


夢とは、ほんとうに不思議なもの。大きな余韻を与えてくれるもの。
いまという時代も、巨大な何かの夢の中かもしれない。

 

 

自分で自分を刺し殺す夢は、はじめてみました。笑


ちなみに、子供が生まれるときも、深い仏教的な夢を見たのですが、それは内緒です。子供が成人したときに話そうと思います。(真顔で)

 

 


最近、春秋社の書籍化に向けて、絵を描いています。
絵を描いていない時でも、無意識の世界で絵を描き続けています。
イメージの世界が、自分の中でせり出してくる。
イメージが活性化している。


海と陸の境目となる港のような場所では、海からの贈り物として、イメージは夢を陸揚げしている。

 

 


結婚とは、「わたし」という主語が「わたしたち」という主語に変わること。
きっと自分の中に巣食っている複数の「わたし」は、一度死んで、生まれ変わるのでしょう。


「わたし」が感じていること、考えていること、価値観、そうした様々なものは、定期的に洗わないといけない。衣服が埃まみれになっていることに気づかない。
そう考えると、掃除や洗濯という日常の行為が、とても尊く思えてきます。

 


個人の中の葛藤は、意識されている、という意味ですごくいいこと。潜伏する方がプロセスは複雑化する。
それと同じく、夫婦で交わされる喧嘩も、その葛藤が表面化しているということで、すごくいいことだと思う。
喧嘩をしない夫婦は、いいように見えるけど、お互いをさらけだしていないのかもしれない。長期的に見ると、きっと痛い目に合う。


喧嘩をしながら、それでいて深め合う関係性が、夫婦に限らずいい人間関係なのではないかと思います。


喧嘩、で語弊があれば、ぶつかり合う、ということですかね。
摩擦を避けるのではなく、摩擦をこそ愛でて楽しむように。

 


それにしても、
人生の大きい節目で、チャプター(章立て)のように何か重要な夢を見て、その夢を大切に育んで生きています。


最終的に、この物語はどう結ばれるのだろうと、思いながら。
常に何かがはじまり続け、何かが終わり続けるのが、物語が続いているということ。

 

 

 

 

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