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『mother!』(監督:ダーレン・アロノフスキー)

ダーレン・アロノフスキー監督の『mother!』(2017年)という映画をDVDで見ました。 なんと、この映画、日本での公開中止になった超問題作です。

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監督はダーレン・アロノフスキー。

この監督、すごーーくよく覚えているのは、『π(パイ)』(1998年)という数学と数字の世界だけをテーマにした映画を作っていて、大学生時代の自分はうなされるようにはまってしまい(ただ、果たしてどういう内容だったのかまるで覚えていない!)、Tシャツまで注文して買ったのです。π(パイ)、円周率に取りつかれた人間の狂気の物語のような記憶があります。

その後の作品もいろいろと問題作・話題作を作っているようですが(自分はあまり観ていなくて)、「ブラック・スワン」(2010) 「ノア 約束の舟」(2014)だけは見ています。

なぜ『mother!』(2017年)は、日本で公開中止になったのか。 この映画はストーリー自体が奇妙なのですが、それ以上に監督の聖書解釈を二重に重ねながら映画が作られていて、その聖書解釈がやや特殊で、かつ観客に強い衝撃を与える映像表現があまりにも直接的だから、とも言えます。

聖書は全世界でもっとも読まれている書物。 多くの人に時代を超えて読まれる作品は、それだけ多様に解釈される書物です。 そして、どんな解釈をも受け止める懐の広さを持つからこそ、普遍性があります。

そう考えると、ダーレン・アロノフスキー監督の聖書解釈は、「ノア 約束の舟」(2014)の時に垣間見せた解釈とも実は近いことがわかりました。

「ノア 約束の舟」(2014)では、生き残った家族はノアだけ。そのノアは自分の家族が生き残ることだけを考えて生き残った。そのノアが人類の始祖だとすると、わたしたちにはそうして他者を蹴落として自分だけ生き残りたいという欲望が深い場所に埋め込まれている。というメッセージを示唆したものでした。ある意味では後味の悪い映画でした。

この映画で監督が描きたかった本質が、『mother!』(2017年)へと受け継がれています。

もっともっと濃厚に濃縮したものとして、原形がなくなるまで煮込みに煮込み続け、腐臭がする寸前まで発酵させるのに、3年の時間が必要だったのでしょう。

 

そして、この超問題作『mother!』(2017年)。

普通に見ていると、わけのわからないホラーのようにも見えます。

妻と夫が暮らす家。夫が詩を書く。そこに人が集まってくる。夫の詩が熱狂的に好きだという人たち。すると、夫婦が家に入り込み、息子二人もやってきて、兄弟殺しが起きる。すると葬儀がはじまる。夫の詩に感動した人たちが家を訪れ、我が物顔で家に侵入してくる。家に侵入する人がどんどん増え続ける。その後に人類の負の歴史をパノラマで再体験するようなシーンが続き、夫婦には子供が生まれるが、その子供を人々が連れ去る・・・・。最後に家は燃やされ、すべては燃えつくされる。すると、また最初のシーンに戻り、ループする。

・・・・ストーリーだけを追うと戸惑うことばかり。

ただ、ひとつひとつのシーンをよく見ていると、ところどころでアダムとイヴ、カインとアベル(人類史上最初の兄弟殺し)、イエス・キリスト、ヨハネの黙示録・・・を示唆するシーンが数多く暗示のように埋め込まれています。

「一つの家」という狭い場所で起きる人々の様々な行動を、「地球」という有限な場所で起きる人類の歴史 (おもに聖書解釈)と重ね合わせるように、二重のイメージで映画は進んでいくのです。

聖書を読んだことがある人ならば、兄弟殺しが突然起き始めるところで、何か神話的なテーマに気づくでしょう。

『mother!』(2017年)では、詩人(=創造主、神)が「言葉」と「文字」という強力な意識操作の道具を手にいれ、そのことで多くの人間(=人類)を思いもかけず動かしはじめてしまう。人類は狭い家(=地球)の中で増え続ける。そしてどんどん自分勝手な行動をはじめる。最後には互いに争いあう。

神という詩人から与えられた「言葉」と「文字」は、善良な人間性を覆いつくすほど、人々の心の奥底にある「‘弱さ」「欲望」「独占欲」「支配欲」「エゴ」・・・を増幅させ、肥大化させて伝播し続ける。他者の否定と自分の否定とはあわせ鏡のように乱反射しはじめ、最後に行きつく先は人類全体、地球全体(家)を破滅させるところまで突き進み続ける。

主人公の女性が、家の中の心臓の鼓動を聞き続け、家そのものと感情とが分かちがたく一体化している様子が描かれる。

そもそも、地球や自然は、生命を生んだ母である。 ただ、もし「母」なのだとしたら、わたしたちは農耕で土を耕すとき、母の身体を傷つけている「痛み」を感じないといけない。鍬を入れるとき、その一回一回にも。

もし「母」なのだとしたら、母の体内から石油や石炭を、そして原子力エネルギーまでも取り出していることになる。それは「母」の内臓から取り出して利用している「痛み」をも同時に感じ続けないといけない。電気や便利な生活。すべては地球という「母」が犠牲となって与えられたものだ。

(実際、映画のポスターの下半分は、この「母」のシーンが描かれている(が、表現がきつすぎて誤解を与えるのでトリミングされている))

最後の、やや残虐ともとれるシーンは、そうした「母」の身体を傷つけている「痛み」を我々が感じるための劇薬として提示されたイメージなのだと思います。

原子を引き離して「原子力エネルギー」を取り出すことは、母なる自然が生み出した子供の生命を無理やり引きはがし、自分たちの利己的な考えだけで利用しているようなものなのだと。

もし、この映画に不快感を感じ、心のうずきや痛みを感じたのなら、それはわれわれの生命の「母」が感じている「痛み」そのものなのだよ、といわんばかりに。

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後味は苦虫のようにきつく残ります。

ただ、あえて批判を受けることを想定してでもこの作品を作り上げて提示した監督の痛みをこそ共に共有したい。そのことで、新たな人間観・自然観の創造へと進むことができれば、この映画は劇薬として、受け取ることができるのだろうと、思います。

「嘘は常備薬、真実は劇薬」

(実はこの映画、一条真也さんがあまりにも衝撃を受け、稲葉の感想を聞きたい!とのことでDVDまでプレゼントしていただいたので見た、という経緯もあります。「サンデー新聞」にも、『いのちを呼びさますもの』の書評を書いていただいたばかりですし、一条さん、ありがとうございます!!)

(ご参考までに、こちら一条真也さんの感想。)

ちなみに。 『mother!』(2017年)は、「Mother」ではなく、mother!と小文字になっています。 最後のエンディングで、詩人(創造主の神にたとえられる)は、「He」となっていたような気がします。大文字。 これは、女性原理(mother)よりも男性原理(He)が上に立つと世界を滅ぼす。だからこそ、生命の母である女性(Mother)をもう一度中心に据えて未来を考えよう、という意図が込められているのではないか、とも思いました。

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