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生きているからこそ

音楽家の大友良英さんとのNHKスイッチでの対談。

放映日が3.11であるのは、偶然ではない・・・。

一見平和で平穏な日々が流れている。だから音楽も聞けるし本も読める。演劇も舞台も行けるし、絵も見れる。

でも、こんなことをまったく感じることができないときもあった。感覚や感受性を失い、何か呆然とした空気の中に身を置いていた時期があった。それは3.11のときだ。

3.11にどういう事態が自分を経過したのか、ということを確認するために。

自分が過去に書いたものを見返していた。

2011年3月11日の後、作家の田口ランディさんの呼びかけで、「みんなはいま、なにを思っているんだろう?」という文章を書くお誘いのメールがあった。

自分に何が言えるのだろうと思いながらも、なんとか書いた文章を読み返した。そして当時を思い出した。 そのときも、「この時点で、この瞬間に書くことに意義がある」と思って書いている。それは、おそらく未来の自分へ宛てた手紙のようなもの。 そのときの自分の感性を思い出すために。過去と未来とが共同して働くための仕掛けとして。

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(2011.03.31のテキスト) 自分は、東京に住み、32歳で、医療の職についている。 田口ランディさんとは大学生時代からの付き合いで、長い付き合いはランディさんへの個人的な信頼感を深めるのに十分な時間で、彼女がすることはなるべく直接足を運んで見聞きして学び取るようにしていた。 そして、「ダイアローグ研究会」にも誘われた縁で、ここ1年は<原発>と<対話>をふたつの焦点とした楕円体のようなテーマを勉強していた。 そして、今回の震災とそれに続く原発の問題が起きた。 自分は活動家でもなく、思想家でもなく、人格者でもない。 あの日以来、被災地からの情報におびえ、混乱し、戸惑い、うろたえて日々を過ごしているひとりの人間でしかない。 ただ、プロの医療者としての倫理観は保っている。 いつも以上に心を平静に保ち続けることを自分には課して、辛い時こそ患者さんには笑顔で接したいと思っている。 そうは言うものの、仕事の合間合間に被災地のことを思うと、またそのことで頭がいっぱいになる。深い海の底のようなかなしみを感じる。 そして、自分が東京という安全地帯にいることの罪の意識のようなものさえ感じる。 自分は果たして何をしているのだろうか、と。 ただ、自分はこうして生きている。だから、こうして書いている。 自分が生きているからこそ、病いに苦しむ人に寄り添うことができる。 医療では、相手のいたみやかなしみに共感して「同じ」目線で見ながら、それでいて「違う」目線で見ているという節度も持たないといけない。 主観と客観という矛盾する心理状態を、矛盾のまま抱えながら前を向いて歩くことで、医療行為は成り立っている。 今回のことは、ただただ、かなしかった。 個人的にかなしんで、かなしんで、かなしみ抜いた。 かなしみのあとで感じたことは、「人間が生きていることはなんとすごいことだ。」という当たり前のことだ。 これは日々の医療の行為でも感じていたはずなのに、忙しいことを言い訳にして正面から向き合わなかったために、深い場所で眠らせていたことだ。 自分は希望と絶望の間で揺れ動くひとりの臆病な人間でしかないけれど、自分がこうして生きているからこそ、恐怖におびえ、怒り、絶望できる。 そして、怒りの矛先が偏見や決め付けではなかったかと反省し、わかりやすい善悪の物語に自分が改変してなかったかと反省し、また心を落ち着けて元の生活や仕事へと戻ることができる。光と影が同時に見えだすと、絶望が反転して希望さえも感じることができる。 人間が生きているからこそ、お互いを批判し合い、高めあい、低めあい、尊敬しあい、責任をなすりつけあい、協力しあうことができる。 自分は医療の職についていて、お互いが生きていることを確かめあうような仕事をしている。 もちろん、死は敗北なんかではなくて、生と死は表と裏で光の当て方に過ぎないと言えるかもしれないけれど、 そんな文学的な比喩を軽々しく言うことが許されているのも、自分が、いま生きているからだ。そして、これを読めるのも、いま生きているからだ。 いま生きているということを改めてしっかり考えていきたい。いま生きているひとたちと共に、生きている未来を考えたい。 職業柄、特に健康のことが気にかかるけれど、自然のこと、エネルギーのこと、生活のこと、水や食事のこと、環境のこと・・・あらゆる現在やあらゆる未来のこと。 今回の出来事に対して考えるべきことは、言葉と同じ数だけ見出されるかもしれない。それぞれに長い時間がかかる。体力が必要だ。 自分がいま生きているのだから、サイズやスケールにこだわらず、自分が考えたことに対しても卑屈にならず、生きている限り考えていきたい。何らかの関係性を保ち続けたい。  お互いが生きていることを確認し合う医療の仕事をしている人間として、より強くより深く、いま考えていることです。 *****************************

何を書くべきなのかかなり困ったけれど、数時間考えた結果、「ひとが生きているということは、それ自体でなんとすごいことなのだろう」というところに着地していた。  そのことを核に、上のような文章になった。 うろたえたり、おびえたり、不安におもったり、心配だったり・・・ それはすべて、生きているということが前提で、それはすべて、自分がいま生きているということの証明だ。 

生きているという思いがあるからこそ、矛盾を抱えながら前へ歩ける。

生きていること、それはすでに前向きなことだ。  いくら絶望と希望がまだら模様に混在していようとも、ぜんぶすべて合わせると、生きていること自体はきっと希望の方向へと向いている。 それは、ポジティブシンキングのような処世術ではなく、心から感じていること。

6年前に32歳の自分が感じていたこと。

●SWITCHインタビュー 達人達「大友良英×稲葉俊郎」

2017/3/11(土曜):NHK Eテレ(午後10時- 午後11時) 【出演】音楽家…大友良英, 医師/東大病院助教…稲葉俊郎 【語り】吉田羊,六角精児 (→NHK SWITCHインタビュー 達人達

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