1と99と100

あるものを100倍の倍率にしてみると、部分は精密に鮮明によく見える。

ただ、それは方眼紙で言えば100マスの中の1マスを拡大してみていることになるので、その時、残り99マスを見落としている、ということに自覚的である方がいい。その1マスで得られたものが、残り99マスにも当てはまるかどうかは、わからない。


物事を部分的に精密に見るということは、全体を見落とすということとトレードオフになっている。

そういう背景を知っていればこそ、その次のステップとして、部分と全体とを重ね合わせてみることができる。


そのためには、1マスで得られた情報だけで満足せず、自分の限界を自覚し、その1マスの情報を互いに共有し、ほかの99マスを精密に眺めた人たちと対話をする必要がある。そのことで、100マスの全体像を見ることができる。

そう考えれば、個別性(1マス)と多様性(1マス)と全体性(100マス)も、すべては対立することなく両立し共存することができる。

だからこそ、この世界にはいろいろな人が必要で、そうしたことが未来社会の哲学の基盤となる。

多様性とは価値観の押し付けではなく、自然の摂理のようなもの。 ひとりひとり(1マス)が尊重されるからこそ、全体性(100マス)が分かる。

善悪の知識の実を食べるようにものごとを二元論で善悪に分け、自分が「絶対的な善である」と勘違いしやすい。エゴに、自分の全体が侵されると、世界は「落とし穴(暗闇)」になるようです。



個別性(1マス)と多様性(1マス)と全体性(100マス)とは、すべてのピースがそろわないと、成立しないものです。