軽井沢1887
「ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡」より。
1887年の軽井沢は、何もない。 浅間山の噴火の影響か、美しい木立も何もない。 山という地球の形だけが、ある。
別の見方をすれば、ちょっとした工夫で、ほんの130年くらいで今の軽井沢の街並みに変わるなら、大きな希望だとも思う。130年と言えば想像できる時間軸でもあり。
自然を放置するわけでもなく、ただ自然を壊すわけではなく。
自然と人間との距離感こそが大事だ。
虫や動物、植物とも距離感こそが大事だ。
それは人間関係すべてに普遍的に通じることで、愛の本質とも関わることで、距離の問題はコロナ禍が顕在化させてくれた。
social distanceは、すべてから距離をとり、とらわれていた常識を再検討するためにも深い意味を帯びていた地球規模のムーブメント。
軽井沢という土地の特質として、キリスト教の霊性と日本的霊性ととが交わり、程よい「距離」をとれたことも大きな要因で。
横尾忠則さんから生前の三島由紀夫の話を根掘り葉掘り聞いた。
その時に今でも響いている三島由紀夫の言葉として「芸術と礼節が交わるところに霊性が宿る」という遺言があり、自分は土地や場所でも同じことが言えるのではないかな、と思う。
横尾さんと三島由紀夫も、ただ出逢った、のではなく、互いの「霊性」が交わったからこそ、今こうして自分の哲学の一部分として入り込んでいるのではないのかな、と。 なぜかいま、改めて三島由紀夫を、思い出しながら。
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