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軽井沢も雪

  • 執筆者の写真: inaba
    inaba
  • 2025年12月15日
  • 読了時間: 2分

軽井沢も雪。


雪の日は音を雪が吸収するので、空間の音質が変わっているのも神秘的な印象を与える。




吉田兼好が「徒然草」で

「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは」

と言ったことは、大学時代に読んだときにすごく心に残った部分。 


満開の花や満月もいいけれど、不完全なもの、崩れゆくものを見るのも風流である、と。

雪も積もっている姿も美しいけど、溶けてゆく姿もまた美しい。

水の千変万化の変化を見ると、人も器に応じて変化していく必要があるなぁ、と。自然から学ぶことばかりだ。




雪を見ると、

中原中也の「雪の賦」

という詩が頭に浮かぶ。「賦(ふ)」は、中国文学の散文詩の一形式のこと。


雪を見ながら、頭の中に浮かんでは消えてゆくものを、中也なりの言語感覚で降ろしている。

芸術や詩は、世界を見るときの補助線となって、より解像度高くこの世界の真実を見ることを助けてくれる気がする。



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中原中也「雪の賦」


雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思へるのであつた。


その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……


幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。


ロシアの田舎の別荘の、

矢来の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程(ほど)永遠で、


雪の降る日は高貴の夫人も、

ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……


雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思へるのであつた。




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