潜在的な力が開かれることを 待つ
近所の散歩。



木を見る。
幹と枝しかない状態から、力を溜めて溜めて溜めて、一気に芽吹いてくる。
こうした形態からそうした未来をイメージして、あらゆるものに秘められた潜在的な力を信じることは、病んだ人間や社会が、生命の力で立ち上がってくることと似ている気がする。小さくとも、根が根付ける場が大事だ。
子どもが地面に寝て、というのでとりあえず寝転んでみて、地面から木の枝を見あげていた時、どこかからそういう言葉をかけられたような気がして、驚いた。







石からでも植物はへばりつくように生きていたりして、自然界には驚くことばかりだ。
人間の生命力も人工社会の営みも、同じようなものかもしれない。




種は、いつか何かのきっかけで潜在的な力が開かれるのを、今か今かと待っているんだろうなぁ。
いったい何が、果たして誰が、その可能性の扉を開くのだろう?



散歩をしているときに沸き起こって来る言葉は、外からやってくるようでもあり、内からやってくるようでもある。



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