出会いの複雑さと出会いの力
子どもは川を見ると走る。
そして、山や起伏を見ても走る。
面白い!と思える場所で走る。
これは、おそらく体の本能だろう。そして、体の喜びの声のようなものだろう。
大人は頭で体を制御しているので(はしゃぐな!とか、周りの目を考えろ!とか・・・頭の中で勝手に声が聞こえてくる! この聞こえてくる声は外なる規範が内在化されたものなのだろう)、本能にブレーキがかかっている。
もちろん、それは得るものもあれば失うものもあるのだけど。
ということで。
子どものように体の向かいたいように生きれれば、どんなに幸せな世界になるだろうか、と。
大人は、子どもが幸せに生きるように場を準備することしかできない。それは、法律やシステムの本来的な役割であるとも思う。
もちろん、子どもだけではなく、大人にもそうした安全がな場が少しでも増えれば、もう少し余裕がある社会になるだろうなぁ。今は大人の心に余裕がない社会になってしまっている。大人の心の狭さが、子供の心へと、伝わっていく。それがまた、子どもが大人になった時の未来の種へとなってしまう。世代を超えて、より狭き浅いものではなく、より広き深いものをこそ、伝えていきたい。
子どもはいづれ大人になる。生きていく中で、人間は色々な形態に変態を繰り返しながら人生を送る。
公園にて。
遠くから見るとひと塊に見えるだけのものも、近くで見ると一本一本の枝には個性がある。光や水や風などの条件の中で、そうならざるをえない事情の中で、複雑な関係性がある。
複雑な迷路のような樹木も、人生の出会いをマップのように見ているようで想像が膨らむ。
人生の中で、思いがけずに気の合う人と出会う(家族も含め)。そうしたことも、こうした一本一本の不思議な絡まり合いの一環なのだろうなぁ、と。
「出会い」は本当に大事だ。
出会いを繰り返しながら、人生は展開される。
天国にも地獄にも連れて行ってくれるのが、出会いの力だ。
真理は自然現象の中で隠さずに開示されているんだろう。読み解く力こそが、人生に彩りや香りを与えるのだと思う。
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