top of page

ねじまき鳥クロニクル@東京芸術劇場

ねじまき鳥クロニクル@東京芸術劇場 を見てきた。

いやはや。感動だった。鳥肌立った。

ここまで春樹さんの世界観を、同じレイヤーまで深堀して表現できるとは恐れ入った。

同時に、舞台芸術の可能性や奥深さを感じいる素晴らしい機会だった。いまでも余韻が残る。










まず、音楽が素晴らしい。

演奏は、大友良英さん、イトケンさん、江川良子さんの3人。え!3人だけでこの音楽を!という感じで悶絶した。


「ねじまき鳥クロニクル」というだけあって、「ねじまき鳥」+「クロニクル(年代記)」なのですが、まさにその「ねじまき」や「クロニクル」という時間性が、余すことなく音楽だけですべて表現しつくされていて、驚いた。3人ですべての音楽をカバーする芸達者ぶりには恐れ入った。


そしてダンスも!

ダンサーによる非言語の身体表現にかなり光が当たっていて、ダンス好きの自分は感動でもあった。

普通の舞台は役者さんに主にスポットライトが当たる。今回の舞台は、音楽、ダンス、演技が完ぺきな三権分立のようなケミストリーを奏でていて、三つ巴の緊張関係が、新境地を切り開いていると感じた。同等の立場で拮抗していた。


インバル・ピントさん(イスラエルの方)の演出はすさまじまかったなぁ。(+脚本・演出:アミール・クリガー+藤田貴大さん!)

観念の世界ではなく、演者の身体性を入口に、ムーブを拡大したり連想を連鎖させて膨らませているのが伝わる。身体を介して言葉にならない世界を受け渡そうとしているかのように。見ているこちら側の身体が同期してくる。映画などの映像表現では、やはり頭と頭との頭世界での交信を強く感じる。今回のような舞台芸術では、まさに身体と身体とが強く感応し響きあうのを感じた。だから鳥肌が立った。




・・・・

小説「ねじまき鳥クロニクル」は、村上春樹作品の中でも群を抜いて自分が好きな作品だ。

水族館を見てくらげを見るたびに、「ねじまき鳥」の人物が脳内で映像として勝手に映写されてくるほどで。


小説を読んでいるとき、あまりに深く入り込みすぎて、体外離脱した経験すらある。(壁に寄りかかって小説を読んでいる「自分」を見ている「自分」がいることに気づき、座って小説を読む自分の中に慌てて戻った経験がある笑)




そんな個人的な体験談はともかく。


この舞台で一番感じたこと。 それは、この小説は「生き残った人たちの物語」だ、ということ。


「ねじまき鳥クロニクル」に出てくる登場人物は、全員がなんとか「生き残った」人たちだ。 生と死の紙一重の世界に行き、そこで生の世界に舞い戻ってきた人たちが登場する。まるで生の世界に舞い戻ることができなかった人たちを代表しているように。ある種のメッセンジャーとして。だからこそ、全員が死の影を強く帯びながら、危ういバランスをとり続けている。バランスをとることが、そのまま自己や他者との対話になっている。


生き残った人の中には、大きく損なわれてしまった人もいる。大きく傷ついた人もいる。歪みが拡大し元に戻れなくなってしまった人もいる。ただ、何かを伝える、という意味では、懸命に生き延びている。



感じたこと。 損なわれた人と出会ったとき、僕らがすこし勇気を出して誰かを助けたとすれば、その行為は他の誰かにも連鎖、連鎖、連鎖・・・していくのではないだろうか。 つまり、誰かを助けたことで、そのおかげで助かった人がいて、さらにその人のおかげで助かった人がいて・・・ということが連鎖的に起きているのではないか。

愛する人がいて、たった一人でも助けることは、そのささやかな善意が大きな何かにつながっているのではないか。そして、それは逆の面でも同じことが言える。誰かを傷つけ損なうことは、連鎖が連鎖を生み、遠くにいる誰かに、弱い立場にいる誰かに、その余波が静かにそして確実に及んでいることがあるんじゃないのかな。連鎖は時間も空間も超えていく。


何か、そうしたことをズシンと重く感じる舞台だった。



音楽が素晴らしく、ダンスが素晴らしく、もちろん演技も素晴らしく。役者さんたちもスターばかりだったが、だからと言って特別扱いするわけではなく、音楽家やダンサー含め、出演者全員に光が当たっていたのは、演出家が見事だというしかない。まさか第三巻のナツメグやシナモンの世界までも余さずに舞台化しているとは、驚いた。

オペラの現代進化版のような重厚な舞台です。


舞台芸術が好きな人にも、自分のように村上春樹を深く愛する人にも、舞台をあまり見ない人にも、幅広く、そして奥深く満足を得ることができる最高の舞台だと思います。

ぜひ、見に行ってほしい!!

(残念ながら、2/27木曜が最終公演になってしまいました。




そしてそして!

光栄にも、パンフレットの最後には稲葉と橘さんの名前が!光栄だー!


この舞台化の話が世に出る前から(もう数年前?)、いろいろと準備段階で手伝わせてもらいました。一隅を照らさせてもらっただけでも本当に光栄です。ホリプロの企画+プロデューサーの篠田麻鼓さん、大好きな春樹さんの舞台を手伝わせていただき、ありがとうございます!!










---------------


2020年02月11日 (火・祝) ~2020年03月01日 (日)

会場:池袋芸術劇場 プレイハウス

作・演出

原作:村上春樹 演出・振付・美術:インバル・ピント

脚本・演出:アミール・クリガー 脚本・演出:藤田貴大 音楽:大友良英


出演

<演じる・歌う・踊る>

成河 渡辺大知 門脇麦

大貫勇輔 徳永えり 松岡広大 成田亜佑美 さとうこうじ

吹越満 銀粉蝶

<特に踊る>

大宮大奨 加賀谷一肇 川合ロン 笹本龍史

東海林靖志 鈴木美奈子 西山友貴 皆川まゆむ (50音順)

<演奏>

大友良英 イトケン 江川良子










 


================

■村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編』

(本田さん)「流れに逆らうことなく、上に行くべきは上に行き、下に行くべきは下に行く。上に行くべきときには、いちばん高い塔をみつけてそのてっぺんに登ればよろしい。

下に行くべきとには、いちばん深い井戸をみつけてその底に下りればよろしい。

流れがないときには、じっとしておればよろしい。

流れにさからえばすべては涸れる。すべてが涸れればこの世は闇だ。」

================

■村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編』

「あるいは僕は負けるかもしれない。僕は失われてしまうかもしれない。どこにもたどり着けないかもしれない。どれだけ死力を尽くしたところで、既にすべては取り返しがつかないまでに損なわれてしまったあとかもしれない。僕はただ廃墟の灰を虚しくすくっているだけで、それに気がついていないのは僕ひとりかもしれない。僕の側に賭ける人間はこのあたりには誰もいないかもしれない。


「かまわない」と僕は小さな、きっぱりとした声でそこにいる誰かに向かって言った。

「これだけは言える。少なくとも僕には待つべきものがあり、探し求めるべきものがある」

================

■村上春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編』

「正確に言えば、僕は君に会うためにここに来たわけじゃない。君をここから取り戻すために来たんだ」

================



bottom of page