「弱さ」と「いのち」を大切にして、誰も仲間外れにならない世界を
GW中はコロナ対策で忙しかったです。
軽井沢は東京と長野の関所?あわい?のようなところなので、なんとかこのまま感染者ゼロにしていきたいところです。
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そのためには個々がしっかりとウイルスとは何か?を理解し、何によって感染するのか?含め、相手のことをよく理解する必要があります。すべてに先立つものは「理解する」ということです。
その上で、いま何をすべきか、上からの命令ではなく自分自身の頭で考えて。分からないことはよくよく人の意見を聞いて、自分がよく咀嚼して理解したうえで、しっかりとした個の判断で動いていきたいです。 「理解」ない「行動」であれば、命令で動かされる「全体主義」や「管理型社会」へと、同意したとみなされてしまいますから。
2011年3月11日の東北大震災と、それに引き続く原発の事故がありました。
自分はこのとき、色々と医療ボランティアに行ったこともあり、多くのシステム矛盾を見ました。この大事件をきっかけに、日本や世界は変わるかと思っていましたが、実際には大きなシステムは動きませんでした。もちろん、個々人で大きく変化した人も多かったのではないかと思います。自分は大きく変わった個人の一人です。
当時、その現状に失望していたのですが、今回のコロナ騒動で分かったことがあります。
それは、日本での原発の事故は、地球全体のシステムが同時に動かないと動かせなくなってしまったもので、日本、ひいては地球全体の社会が変化するためには9年もの時間を必要とした、ということです。
2020年のコロナ騒動という「生命への真の理解」の道筋のため、地球全体のシステムが揺らぎ大きく変化しています。新しい平衡状態が社会に定着するために今から10年くらいはかかるということなのでしょう。
それくらいのビジョンを持って、個々は状況を理解し、判断しながら、個々人が次のシステムへとしっかり動いていく必要があるのだと思います。システム全体が変化した安定するまでに10年くらいかかるだろうと思います。巨大なシステムはそれだけ動きが鈍いものですから。
今回の問題で思ったことは、「お金がないとどうにもならないシステムをつくってしまった」ということに尽きます。だからこそ、経済活動がストップしたことで大きな混乱が起きました。それは、お金を中心にした社会づくり、システムづくりをしたことに原因があるので、その間違いを素直に認めて、新しいシステムへと移行していく必要があるのではないでしょうか。 そのためには、「食」によって「いのち」が続いている基本に立ち返り、「食」や「命」を中心とした社会システムへと移行していく必要があるのだと思います。もちろん、「お金」は交換尺度として必要です。ただ、本来的には必ずしも全員に必要なものではありません。大事なことは、「お金」よりも、わたしたちそれぞれが「いのち」と関連ある仕事に取り組む、ということではないでしょうか。
自分は、「兼業農家」と「兼業医療家」に全員が取り組んでいくことを提案したいと思っています。もちろん、別の仕事や役割があって構わないのです。ただ、必ず「いのち」に関わる役割を社会の中で担う、ということです。そして、どんな人も仲間外れにしないように、よく考えた仕組みを作ることです。全員に居場所がある、そのためにはどうすればいいかを共に考えていく、ということです。
何もできない人は存在する必要がない、と生産性がない人は・・、お金を生み出さない人は、、、など、そうした考えは、あまりにも浅はかです。
「いのち」を与えられて生きているものは、「生きている」という事実それだけで全員に存在理由があります。むしろ、それで十分だと思えない社会の方が、病んでいます。
次の社会はまったくの未知数です。もともと、先に道はありません。
だからこそ、今からの一歩一歩こそが、結果的に道になるのだと思います。
そして、今からの一言一言こそが、新しい社会のリアリティーを生み出していくのだと思います。
「弱さ」と「いのち」を大切にして、誰も仲間外れにならない世界へと、進んでいきたいと、GW中に強く思いました。
与謝蕪村『菜の花や 月は東に 日は西に』
こんにちは、長尾将徳です。 全体主義への警句、政治学科卒で全体主義絡みの論文を書いた自分としても共感するものがあります。
また、価値交換のツールとして以上に重要視されているお金に関しての見方も同じように思います。最重要な命と尊厳を守るために、持続可能な社会では万民兼農的な働き方が必要と思います。自分もそのような世界観を実現するために頑張ります。 大変参考になる記事、いつもありがとうございます☺️