「山」をつくる時代から、「穴」を埋める時代へ

コロナが社会に及ぼす影響はすさまじい。 大企業の報告で、何千億の赤字、とか新聞で見ていると、黒字が大きいと赤字の幅も大きい、ということなのだろうか。

そもそも、子どもの時の疑問は、ある会社が黒字だ、ということは、別の会社が赤字だということと裏表ということだろうか、果たしてこの全体像としてのプラスマイナスはどういう意味なのだろうか、ということ。


経済のバランスシートのようなものは、どの枠内で見るかで、見え方が変わるから、どう捉えるのかよくわからないのかもしれない。結局、それはすべて「人間界」の中での計算で、そこに「人間」以外の存在があまり勘定に入っていないのだろうな、ということ。鉱物や植物や動物のことはあまり勘定にない。

ただ、食物連鎖のすべてを支えているのは植物界で、彼らがいなくなると、いのちの全体像はすべてが壊れる。


たしかに、コロナの影響で人と人との距離は離れた。 でも、それもすべて「人間界」の話のことで、人との距離が遠くなったということは、自然界との距離が近づいた、ということでもあるように思う。 人間界の中で人生の収支のバランスをつけていると、人と人の関係に巻き込まれ続けて際限がない。 処世術が人生のすべてだと勘違いしてしまう。実際、そうして弱者の思いを踏みにじった時代も長かった。


今後は「人間界」だけではなく「自然界」という枠組で、色々なバランスシートを考えていく時代になる。 「人間界」の中でのモノやお金の出入りに一喜一憂するのではなくて、「自然界」の中での全体性を考えながら、何が入り、何が出ていくか、と考える。


もちろん、古代の人は、もともと自分と宇宙や自然とで1対1で対峙している感覚を常に持っていただろうから、そうした古代人の自然への畏怖と距離感を思い出しながら、現代人がどう立ち回るか、ということだろう。


確かに、得るものが多いと、それを失うことは怖くなるものだ。 現代は、文明という形で多くの人工的な「山」をつくってきた。 もちろん、それは人類に大きな恩恵を与えたので否定するつもりはない。 ただ、多くの「山」をつくると、かならず多くの「穴」ができる。 いま、人類はその「穴」に落ち込んでもがいている時代もと言える。 だから、今からは人類が作り出した「穴」という欠損を埋める作業に入るのだろう。それは、ある意味では医療的な行為ともいえるのかもしれない。

誰にでも「穴」や「欠損」はある。それぞれの「欠損」を埋める作業を通じて、現代文明が作った欠損を補修することこそ、今からの創造的な仕事になるのではないかな、と思う。

「山」をつくる時代から、「穴」を埋める時代へと。

それは自分にとっては「鎮魂」に近い作業だ。








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