個の成熟と 地球語・宇宙語

コロナウイルスの影響で、軽い安易なつながりは絶たれた。 場の中にいれば何かが保証されるとき、場の中に入るかどうかだけが問題となり、場の中で何をするか、は問われなくなる。むしろ、場の中で個性が突出すると、場の均衡を乱すので、場の力で意見を封殺されるか場から追い出される。 それが権威や権力や既得権益を生み出す温床でもあった。場から脱落した人は這い上がれない仕組みだった。人は個人としての成熟を求めなくなる。 いまからは、場に群れず、個を大切にする時代になる。 場が壊れると、個は成熟を求められ、成熟へと促される。 個人が生命第一主義を掲げて、個人の生命を第一にしながら、命と魂を死守しながら、それでいてエゴイズムにならない時代。距離を持って個人と個人が新しくつながる時代へと。 個人は成熟すれば、慈悲が育ち、エゴイズムにはならない。 個人は縁起の網目の中で、宝珠が互いを鏡としてきらめくような時代。 それぞれが深いゾーンでつながりあい、生身で会うことがなくても、心で深くつながりあっている時代。 個人と個人は離れていても、共鳴し、共感し、共振する。孤独であっても孤立ではないつながり。 本や音楽や芸術作品は、そのための媒介となる。 個人と場との関係性が、一段違うステージに踏み出そうとしている、と、自分は受け取っている。 いまの社会の混乱。 人間語で言えば、歩いて踏み付けるのは雑草であり、地面を動く虫だったりする。コロナウイルスもまるで害虫のような扱いだ。 ただ、地球語や宇宙語で言えば、雑草でも虫でもウイルスでもなく、そんな名前は人間の都合でしかなく、すべて、いのち、なんです。 地面にも地下にも空

『未来の医療と健康の場 ~生活の日常と旅の非日常~』

アロマセラピーや植物療法の専門誌、今月号の「aromatopia No.159」(2020/4月号)は、【特集】自然療法とツーリズム です。こちらに自分も文章を寄せています。 『未来の医療と健康の場 ~生活の日常と旅の非日常~』稲葉俊郎(軽井沢病院総合診療科) 未来の医療の場がどのようになるのか、その最初のモデルケースをなぜ軽井沢でやるのか、その辺りを書いています。 まさに今、コロナウイルスという生命の介入により、今までの水路に水が流れなくなっています。 だからこそ、「新しい水路」をみんなの力で創り出していく時代です。過去の栄光はすべて忘れて、新しい発想で考えていく時代。旧式の水路はもう壊れていたのですが、ガムテープで仮に補修してなんとか帳尻あわせていただけで、もう対症療法では追いつかなくなっただけです。 次の時代は「命」を中心に水路が流れていく時代になると確信しております。 そういう意味でも「農」や「食」は中心です。食べ物がないと人は死にます。体の生命を担うのは「農」や「食」。 「専業農家」と専門分化して完結する時代ではありません。過去に、「兼業農家」という優れたシステムにより「農」を広く支えてきたように、「兼業農家」が復活することでしょう。みんなで土を耕す時代。 そして、「医療」にも「兼業医療家」がたくさん生まれてきて、誰もが「命」に係わる仕事を取り組んでいく時代になりると思います。 体の食を担うのが「農」。 そして、心の食を担うのが「文化」や「芸術」。 その二つをつなぐのが「医」です。 今は、三つのバランスがチグハグです。そこに循環の環を取り戻す必要があります。 「aro

『いま「合奏」は可能か?─心・技・体を整えて広場にのぞむために』(アーツカウンシル東京)

「公共空間での表現」についてのアーツカウンシル東京の提言書、『いま「合奏」は可能か?─心・技・体を整えて広場にのぞむために』に、自分も出ております。 ・風営法改正を主導した弁護士の齋藤貴弘さん ・公共R不動産や南池袋公園に関わる飯石藍さん ・雑司ヶ谷・法明寺の住職の近江正典さん ・サウンドエンジニアのZAKさん ・そして、医師の稲葉俊郎 というバリエーション豊かな5人です。 以下からPDF版がDLできます。→HP https://tarl.jp/library/output/2019/2019_ourmusic/ こちら、元々は2020年4月開催予定だった「隅田川怒涛」という音楽+アートイベントに関連したものです。 隅田川を舞台に7区!をまたいで行われるという前代未聞の音楽・アートイベントが「隅田川怒涛」だったのですが、自分はミュージシャン+画家のGOMAさんとコラボする予定でした。 春:2020年4月13日(月)-4月19日(日) 夏:2020年8月17日(月)-8月23日(日) の予定で、春は延期。夏は未定です。 でも、何かの形でやりたいです。 東京で七区をまたぐことは、区による縦割り行政に大きな風穴をあけるためにも、大きなチャレンジだったのです。 「隅田川」という視点から見ると、区による縦割りはナンセンスですし、能にも「隅田川」という場所を視点にして生者と死者。過去・現在・未来が入り混じる名作があります。 稲葉俊郎+GOMAさんの『身体と音楽』以外にも、 和田永さん、いとうせいこうさん、寺尾紗穂さん、角銅真実さん、蓮沼執太さん、コムアイさん・・・ という超豪華な音楽陣たち

「兵庫県立横尾救急病院展」図録より

横尾忠則さんのTwitter ―――――――――――――― @tadanoriyokoo 4月21日 このコロナで人類の意識は良くも悪くも変るでしょうね。どう変るかはその人次第でしょうけど。 ―――――――――――――― 幻の展示となってしまった「兵庫県立横尾救急病院展」。 まさにこの時代を予見するかのような横尾さんのすごさには改めて驚いています。 そもそも、今回の展示を横尾さんと話し合っていたのが2019年3月。 1年後にあたる2020年3月の展示の相談をいただき、「医学と芸術とが交わるものにしよう」と話し合っていたのです。命や魂の次元に降りれば、自分は同根のものであると思っていましたので。 『兵庫県立横尾救急病院展』の巻頭テキストという有難いご依頼を受けて(横尾さんは紳士なので、依頼のとき、人を介してではなく、必ずご自身の口からお願いを伝えるのです。少なくとも自分の時は必ずそうです)、自分も『横尾忠則と病との関係』に関して、横尾忠則愛を炸裂して書いたのです。気を失いかけるほど、横尾さんの絵をもう一度読み込みました。 2019年3月のときから2020年の展示は全員マスク着用、全員が白衣を着る、という構想を話し合っていて、自分は『兼業農家』ならぬ『兼業医療家』の時代になっていくだろう(なっていってほしい)と言うような話も含め(魂や命に畏怖を感じる時代へと)、横尾さんと10時間近くも激論して話し合っていたのでした・・・・・。 ということで。 幻となった「兵庫県立横尾救急病院展」@横尾忠則現代美術館(2020年2月1日(土)-5月10日(日)ですが、稲葉が書いた巻頭テキスト

深い井戸を介したつながり

今回のコロナウイルスは、地球規模の問題です。 ですから、「地球」という全体性のバランスを考えて生きる時代に突入している時代なのだと思います。 誰もが地球の根っことつながり、誰もが宇宙と一対一で対峙する感覚を持った時代です。 急性期医療と慢性期医療。 二つは独立に、そして相互に合わせ鏡のようにして考えて行く必要があります。 急性期医療。 コロナウイルスのような伝染病とされる感染症では、独立した医療機関が必要です。結核では空気感染するので場所を隔離します。同じような隔離・独立施設が急務でしょう。地球上に、あらゆる人工的な建造物がたっている今、既存ものでそのことは容易なはずです。普通の医療機関の中で伝染病を扱うからこそ、現場の混乱が起きています。 軽症と重傷者をしっかり見分け、とにかく重症者の「いのち」を助けることに医療資源を集中させるしかありません。 そして、そのときにも大事にしたいことは、「病」への対処としてやる感覚よりも(そうすると、ウイルスを敵とみなしてしまい、敵と見る闘いは永久に終わりません)、「健康」への道筋として、ウイルスの対応を考えることです。ウイルスを敵とみなす必要は全くありません。敵や見方か、という二分法ではなく、自分自身の「健康」と、社会の「健康」を目指して、いまやるべきことをひとつひとつ丁寧に積み重ねていくことが必要です。 慢性期医療。 心のケアが大事です。体の健康だけではなく、人は心の健康も必要なのです。 人間の営みにおいて、いかに「つながり」が大事だったをわたしたちが身に染みて感じているので、善意が還流してうまく「つながる」方法を考えていき、その一

THE NATURAL SHOE STORE「日々を歩いて vol.10 ~水路をひいて対話をしよう~ 稲葉俊郎」、加川良「教訓I」(by.杏)

ナチュラルシューストアという靴屋さんは、「本当の心地よさを求めて」というコンセプトを持つ素敵な靴を販売しているとっても素敵なお店。 靴のラインナップを見ているだけでスキップしたくなる嬉しい気持ちになります。 こちらの連載記事に、この時期だからこそと、記事を載せていただきましたので、お読みいただければ。 医療従事者のひとたちは、今も最前線で働いています。 本当のプロは、どんな危機的状況であっても、普段と同じような冷静さを持って働いているものです。 一秒一刻を争う緊急事態の時でも、むしろそういうときだからこそ、平静さを忘れずに、1秒1秒の時間を、100分割にして1秒を細かく使えるような修練を積んでいます。どんな困難な状況でも匙を投げず、丁寧に。ほんの少しの可能性でも常に模索しながら。すくなくとも、自分はそうして現場で働いてきました。 大変で忙しい時こそ、医療従事者は笑顔を忘れず。 頭はクールに、それでいて心は熱く、働いていきたいものです。 このWeb記事にあるように、立場を越えて「大丈夫」と思える社会や医療を。どんな困難な局面でも「大丈夫」だと思える余裕と余力ある柔軟に変化に対応できる社会や医療をこそ、共につくっていきたいです。例え、今回のようにウイルスや感染症の大流行が起きても大丈夫だ、と思える社会を。 心地よさを求めているのは、色々なお店も、医療者も同じ思いのはずです。そうした意味で必ず助け合えるはずだと思います。 ●THE NATURAL SHOE STORE Web連載『日々を歩いて』 「日々を歩いて vol.10 ~水路をひいて対話をしよう~ 稲葉俊郎」 杏

社会の心が動く

大事なのは「心が動く」こと。 いまの社会システムは、巧妙に精緻につくられていて、水が飲める、電気が点く、ゴミを捨てる、病院がある、学校がある、役所がある・・、その背後にある存在の関係性に、都市生活では何も感じなくなってしまっている。 自然の中にいると、こうした当たり前の社会システムがいかにありがたいかと思う。つまり、システムの有難さに対して「心が動く」。  と、同時に、システムには悪い点もある。システムが複雑化すれば、システム自体は重くなり動きも鈍くなり、システムは変化に対応できず、自分自身の重さゆえに壊れてしまうこともある。そのとき、システム内にいる人は壊れ行く船に乗っていてもどうにもできないこともある。 いま、同時代の人、全員の「心が動いている」ということが大事な局面なのだ、と思う。 自分のいのちを守ろう、弱者のいのちを守ろう・・・、と、「いのち」を中心にしてわたしたちの心が動き、「社会の心」が動いている。いのちを守ることは、そもそも医療の専門家 だけの仕事ではなくて、本当は誰もが関わっていいはずのこと。 「兼業農家」という職業があるように、「兼業医療家」という職業があってもいいはずだ。 そんなことを思いながら自然の中を歩く。 冬の樹木の中で芽吹こうとする緑の点滅を見ると、《社会の心⦆が動いたことで、何かこうした芽吹きが、はじまろうとしているのかな、と思う。 自然のいのちは常に同期しているし、自然の心は常に動き続けているから。

HERS(ハーズ)(2020年5月号)稲葉俊郎『いただきますの前の5秒だけでも・・・』

臨床現場のしばしのお休みの時間に・・・ほっと一息。 今月号のHERSという雑誌に出ています。 記事のテーマは「私だけのひとり時間。」というもので、まさに今の時間、かもしれません。 (1月くらいの取材だったような気がしますが、ちょうどいま求められている記事になったのかもしれません。) 今までは、なかなか「ひとり時間」ができず、個々人がどのようにして「ひとり」の時間を工夫してつくってきたのか、と。 HERSは女性向けの雑誌ではありますが、いろいろな方の実践は参考になるかと思います。 自分は、「ひとり時間」というのは「自分自身の体や心や命の時間」であると受け取っています。 ただひとりになればいい、というわけではなく、意識が向かうベクトルが無意識へと、外側ではなく内側へと向かう時間をつくり、自身のいのちの声を聞き、その声を大切にすることです。子どもの世界はまさにいのちの動きそのものだと思っています。 どんな忙しい時でも、そこに巻き込まれず。 どのようにして自分の生命情報とアクセスするのか、ということを話しています。 テレビをつければコロナウイルスに関するおびただしい情報が濁流のように流れてきます。その情報洪水に溺れることなく、自身の感性、感受性も大切にしてください。個人の論理と場の論理。ふたつの論理が両立するような第三の道を発見する時に、いま来ていると、個人的に思っています。 ●2020/04/12:『HERS(ハーズ) 』2020年5月号  『小さくても大切な「私だけの時間」』稲葉俊郎『いただきますの前の5秒だけでも・・・』 (→Amazon)(HERS Web) (ちなみに。撮影場

横尾忠則「タマ、帰っておいで」(講談社)

横尾忠則さんから、新刊を送っていただいた。 「タマ、帰っておいで」(講談社) 亡くなった愛猫タマに関する日記と絵。 自由な次元で異界を行き来するネコは、何かのたましいの象徴のようにも見えて、なんだか泣けてしょうがない本だ。 横尾さんの絵の深さは、まさに生き方の深さに関係しているのだろう。 実際のネコを見て何も感じない人でも、横尾さんのネコの絵を介すると、あらゆる異次元のゲートが開いているような気がするのがすごい。 最後にある、霊界の愛猫タマから横尾さんへ向けた手紙も、素晴らしい。 なんだか自分の囚われた狭い意識のレンジのつまみが、カチリと切り替わり、スペースがグンと広がり自由になるのを感じた。 何かいろんな情報に疲れてきたら、意識をリフレッシュしてクリ―ニングして、別の視点からこの世界を再度見つめ直すためにも、ぜひ読んでほしい本です。

共に心を揺らし

いろいろな分岐点というものが常に出てくる。自分が決断しないと行けないときもあれば、誰かが決断したことに従わざるを得ないときもある。 そうした時に、これはダメでこれはイイ、と、単純に二元論で決めてしまわない。 いいことだけど困ったことだ、困ったことだけどいいことだ、というあたりで、みんなが共に心を揺らしながら、一緒に関係して参加していると、二つの考え方の真ん中辺りに、解決の道が見えてくると、思う。 そのためには、まず現状をグッと受け入れて、保持して、保持しているときの流れの中で何かが変容していくのに耐える器量や待つ力が必要になる。 いまは社会にとってそういう時期か、と思う。 医療現場含め、あらゆるシーンが変化し、変容するとき、そのプロセスはなかなか耐えがたいものだ。不安定な「不安」は、まさにそのプロセスの証し。ただ、それは今までも常に起きてきたことでもある。 一部の人だけではなく、今は社会全体が、共に一つの船に乗船し、心を揺れ動かされるプロセスを共にしている。だからこそ、変化は大きい。 可能性は、プラスのものもマイナスのものも一緒に入っている。だから、ちょっとの揺れの違いで、どちらにも動きうる。 遠くどの方向を見据えて舵取りするかは、こうした難局を乗り切り漂流しないために、大事なこと。 自分が乗る船は、いのちの光源の方向へと、舵取りを進めていきたい。 国が緊急事態宣言を出したように、それぞれが個人的に何かを宣言する時期が来ているように思う。 自分は、宣言の一つとして、本を書いた。

底と闇と一条の光と、いのちを呼びさますもの

前に進めないように思える時は、自分の下を、自分の底をとにかく掘るしかない、と思う。 社会は本来助け合いから生まれた。だから、本来の形に戻ればきっと光が見える。 善意がうまく還流していく社会へと導くために、それぞれが自分の存在の底を掘って、いのちの底を掘って、それぞれの水源地が間接的に地下水脈でつながることが大事だ。それが次の時代のつながり方なのだろう。物理的なつながり以上に、何か大切なものがつながるために。 村上春樹さんがねじまき鳥クロニクルで書いた「壁抜け」は、まさにこの時代のことだと、ねじまき鳥を読み込んだ自分は、思う。 自分の著作から引用させてもらいます。 稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ) 「おわりに」より ------------ 現代は、外なる世界と内なる世界とが分断されようとしている時代だ。多くの人は、外の世界をコントロールすることに明け暮れている。社会の構造も、人間関係もそうだ。外なる世界を強固につくりあげればつくりあげるほど、個々人は分断されていくという矛盾をはらむ。 なぜなら、外へ外へと視点が向きすぎると、自分自身の内側とどんどん離れていくことが多く、自分自身とのつながりを失うと、他者とのつながりは空疎で実体のないものになるからだ。 見るべき世界は外側だけではなく、自分自身の内側にもある。 自分自身は、外ではなく、常にここにいるからだ。 自分自身とのつながりを失うと、自分自身の全体性を取り戻すことはできない。 なぜなら、自分の外と自分の内とをつなぐ領域が、「つなぐ」場所ではなく「分断」する場所として働いてしまっているからだ。 そうし

秋田市文化創造館と法政大学大学院の入試問題と

2013年に閉館した旧秋田県立美術館が、8年の歳月を経て、2021年春、秋田市文化創造館として生まれ変わります。 その変化のプロセスを共有する冊子が、秋田の公的な場所で配布されていますが、こちらの冊子に自分も出ています。 以前、秋田に講演で伺ったときも、この一環でした。 ■2019/9:秋田市文化創造交流館 プレイベント 出会う、つくる、はじめる「医療と芸術、いのちを呼びさます」@ほくとライブラリー明徳館2F(秋田県秋田市千秋明徳町4-4)(司会:唐澤太輔、主催:NPO法人アーツセンターあきた)(→詳細HP) 秋田の文化創造館は、とってもおもしろそうです。芸術をアート界に閉じ込めるのではなく、社会に開いていく試み。 今のような社会不安が渦巻く時にも、芸術の力はきっと大きな支えになると思います。秋田の公共施設での大きな舵取りは、きっと後で評価されるでしょう。 秋田にお住まいの方、是非お読み下さいー。 ●旧県美が変わります。プレ事業「乾杯ノ練習2019」ドキュメントブックを公開(2020.03.26) https://www.artscenter-akita.jp/archives/11884 ■ 秋田市文化創造館 https://www.2020akita.jp/ コラムニストで友人の山田スイッチさんに、『からだとこころの健康学』(NHK出版)を漫画付きで紹介していただきましたー。 ありがとうございます! いろいろと不安が募るとき、その不安を生み出す自分自身を知るためにも、読んでほしい本です。 ●イラスト漫画☆こころとあたま、うまくいってる?☆(2020/04/06) 2019年

深い深い無意識の奥底にある生命記憶

こどもの身体は無意識そのもの。 だから、いろんなものを鏡のように反映する。 先日、病院までお弁当を届けに来てくれた。 こういうのは都会で働いていた時にはなかなかなかった。 2歳の子供が父親の仕事ぶりの雰囲気を見る機会。 自分が聴診器を首にかけていた姿を遠くから見ていたらしい。 それから、聴診器を使いたがった。 以前、熱を出して小児科に受診したときに聴診器をあててもらった体験も残っているんだろう。 まずは僕らに聴診器をあててくれる。 これだけでもホノボノしてうれしい。 次は、クマのぬいぐるみに聴診器を。 そして、たべものに、本に・・・。 ふと、思う。 こどもは、生命に対して分け隔てないんだな、と。 親に対しても、動物に対しても、人形に対しても、本でも食べ物でも、モノであっても。すべてに生命が宿る。生命をそこに見出すとき、そこに立ち上がるものが生命なのかもしれない。 すべての存在に対して平等に意識を向け、平等にケアをする。 無意識の塊であるこどもの行動から、こういう時期こそ、医療のイロハふくめ学ぶことが多いなぁ。 彼の深い深い無意識の記憶の奥底に、こういう体験も大切にしまいこまれるんだろう。

てんぐの巣

他の生きものを声を聴こうと思い、鳥箱を置いてみた。 そうすると、木や自然を観察するようになる。 そうすると、すでに木の上のほうに鳥の巣?のようなものがあることに気づいた、 調べてみると、「てんぐ巣病」というらしい。 巣のようでもあり病でもある、と。 昔の人が、「天狗の巣!?」と名付けたネーミングは素敵だ。 どうやら、「てんぐ巣病」は植物の病害の一種で、植物の茎や枝が異常に密生する奇形症状を示すものの総称。英語ではwitches' broom(魔女のほうき)というらしい。 日本だと天狗の巣に見えて、欧米では魔女のほうきに、見える。 てんぐ巣病は、菌類、昆虫、線虫、ファイトプラズマ、ウイルスなどが原因とのこと。 ある面からみると、植物の病気のようで奇形のようで、ある面からみると、植物と他の生物の共生の姿なんだろう。 昨今の状況は、人間にウイルスが寄生しているように見えるが、ある面からみると、ウイルスの生態系に人間が寄生しているともいえるのかもしれない。 その場合、天狗や魔女も、病も、見方次第だ、ということでもある。 こどものときの記憶がふとよみがえる。 桃太郎の鬼退治の話を聞いたときのこと。 なんで鬼が退治されるのか?ほんとうに鬼は悪者なのか?暴力以外の解決法は本当にないのか? と。 話し手?の誰かに問い詰めたんだけど、ポカーンとして何も答えてくれなかった記憶。自分としては屁理屈じゃなくて、本当に疑問に思ったときの記憶。 この感覚は、いまだにあるんだよなぁ。

軽井沢書店、ZINE「やさしくなりたい」、つるやももこ「Body Journey」、「エホンゴホン堂」@中軽井沢

自宅にて家族と過ごし、子供の寝た一瞬の隙に本を深く読んでいるせいか。本の話題が引き寄せられてくる。 本の話題一つ目。 軽井沢の駅近くの軽井沢書店。 ツタヤさんが選書していてセンスがよい。 おしゃれなカフェもあって素敵です。 ちょうど今アノニマスタジオの絵本特集をしていて、ついでに自分の本も紹介されている。うれしい。先日自分が立ち寄った時は、こどもが走り回って追いかけ待ったせいか、まったく気づかなかった・・・。ありがたい。 「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ、2017年)。 ぜひこういう時期にこそ読んでほしい本です(←我田引水)。 こうした転換点がもう一度来ることを2011年3月11日に見越して、自分的には6年越しくらいで温めて書いた本です。 (ちなみに、東京からの引っ越しも、2011/3/11に考えはじめ、実際の引っ越しは2020/3/11でした。) ■軽井沢書店 https://store.tsite.jp/karuizawabooks/ 〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1323 本の話題二つ目。 編集者の野地洋介さんは、先天的な心臓病を持ち、突然死の一歩手前に行かれ、その上で医師との折り合いがうまくつかず、患者の立場で、医療現場で大いにこまりはてたとのこと。そこから「身体との付き合い方」をテーマにしたZINE(雑誌の簡易版のようなもの)を作られ、そのプロセスで自分もお会いしました。 雑誌名は、まさに野地さんが自分の体を好きになれず、やさしくなれず、その経験から出た体の叫びのような声「やさしくなりたい」です。 →Web https://nod

全体と部分 町と医療

4/1の広報かるいざわ。 病院と契約しているのではなく、軽井沢町の職員の一環として、医療を担当している、という立ち位置がいい。街という全体にとっての医療という部分がある。 軽井沢町への就職というスタンスで、軽井沢病院での仕事に従事する。 大学で学んだことも生かしながら、それでいて大学ではできなかった仕事にも取り組みたい。 世界は新型ウイルスの出現で、医療従事者が頑張っている。 自分も医療者の一人としてベストを尽くしながら、急性期の対症療法だけではなく、慢性期の根本治療も忘れずにしたい。 軽井沢でのほっちのロッジ。医療や福祉の現場に心地よい風穴を開けようとする素晴らしく、軽やかな試み。 こちらも4/1がオープンで、自分もコメント寄せさせていただきました! ●問い:「ほっちのロッヂについて、本の帯のような短文で答えるとすると?」(堀田 聰子/慶應大学大学院教授、稲葉俊郎/医師・山形ビエンナーレ2020芸術監督、首藤 義敬/はっぴーの家) 「わたしたちは適切な通路を介して出会いさえすれば、きっと豊かな未来を創造することができる。」 5日間にわたって、ほっちのロッヂの始まりを他の方の視点からアーカイブしているようですので、他の記事もぜひ。 善意が適切に還流する社会の実現を!! ■ほっちのロッヂ HP

人工知能と人間。NHK「AI美空ひばり あなたはどう思いますか」を受けて。

先日の久しぶりのNHK出演は、ビートたけしさんやつんくさんと並んで出演させてもらい、光栄だったなぁ。 「AI美空ひばり あなたはどう思いますか」というテーマ。 AI(Artificial Intelligence:人工知能)に関して思うこと。 一つ目。 AIは人間が作ったのに人間が後ろに隠れてしまうのが問題。 これは、規則やシステムでの問題と同じこと。 AIの後ろに人が隠れるのではなくて、AIの前に人が出ないといけない。 不意に野犬に出会うと恐ろしく感じるけれど、そこに手綱をつけた人がいると、安心する。 AIは人が生んだものなのだから、ちゃんと人が前に出てくる。そのことが大事なこと。 二つ目。 「AI美空ひばり」は亡くなった方への技術だから、本人の同意がとれないのが難しい。 死には、1人称、2人称、3人称の死がある。 わたしの死。自分と関係のある人の死。自分との関係を感じることができない死。 死にはそうした3つのフェーズでの関係性があり、「AI美空ひばり」が提示した問題は、こうした人間の死に関する普遍的なテーマを、AIの不安ということを介して浮かび上がらせたのだろう。 3つのフェーズが混在して混同すると、なんだか不安になってくる。 1人称の死、2人称の死、3人称の死。わたしの死。あなたの死。だれかの死。 このテーマは、常に普遍的で哲学的な問題で、このことが芸術や文化を生んだと言っても過言ではない。 他にもいろいろと話しました。紅白への期待も含め。 美空ひばりさんが、戦後に人の心が荒廃していた時期、どれだけの光と希望を与えたのか、ということ。 そうしたことを、美空さんを愛す

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