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個の成熟と 地球語・宇宙語

コロナウイルスの影響で、軽い安易なつながりは絶たれた。

場の中にいれば何かが保証されるとき、場の中に入るかどうかだけが問題となり、場の中で何をするか、は問われなくなる。むしろ、場の中で個性が突出すると、場の均衡を乱すので、場の力で意見を封殺されるか場から追い出される。

それが権威や権力や既得権益を生み出す温床でもあった。場から脱落した人は這い上がれない仕組みだった。人は個人としての成熟を求めなくなる。



いまからは、場に群れず、個を大切にする時代になる。

場が壊れると、個は成熟を求められ、成熟へと促される。

個人が生命第一主義を掲げて、個人の生命を第一にしながら、命と魂を死守しながら、それでいてエゴイズムにならない時代。距離を持って個人と個人が新しくつながる時代へと。

個人は成熟すれば、慈悲が育ち、エゴイズムにはならない。

個人は縁起の網目の中で、宝珠が互いを鏡としてきらめくような時代。


それぞれが深いゾーンでつながりあい、生身で会うことがなくても、心で深くつながりあっている時代。

個人と個人は離れていても、共鳴し、共感し、共振する。孤独であっても孤立ではないつながり。

本や音楽や芸術作品は、そのための媒介となる。

個人と場との関係性が、一段違うステージに踏み出そうとしている、と、自分は受け取っている。


いまの社会の混乱。

人間語で言えば、歩いて踏み付けるのは雑草であり、地面を動く虫だったりする。コロナウイルスもまるで害虫のような扱いだ。 ただ、地球語や宇宙語で言えば、雑草でも虫でもウイルスでもなく、そんな名前は人間の都合でしかなく、すべて、いのち、なんです。 地面にも地下にも空中にも、いのち、しかない。いのちこそが、ある。

この地球語のレベルに降り立てず、人間語で世界を捉えている限り、いまの事態は収まらないだろうな、と。


医療関係者は、個人の中にきらめくかけがえのない、いのちのためにこそ、働いている。

それ以外に何があるだろうか。











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