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底と闇と一条の光と、いのちを呼びさますもの

前に進めないように思える時は、自分の下を、自分の底をとにかく掘るしかない、と思う。

社会は本来助け合いから生まれた。だから、本来の形に戻ればきっと光が見える。 善意がうまく還流していく社会へと導くために、それぞれが自分の存在の底を掘って、いのちの底を掘って、それぞれの水源地が間接的に地下水脈でつながることが大事だ。それが次の時代のつながり方なのだろう。物理的なつながり以上に、何か大切なものがつながるために。

村上春樹さんがねじまき鳥クロニクルで書いた「壁抜け」は、まさにこの時代のことだと、ねじまき鳥を読み込んだ自分は、思う。






自分の著作から引用させてもらいます。 稲葉俊郎「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ) 「おわりに」より ------------ 現代は、外なる世界と内なる世界とが分断されようとしている時代だ。多くの人は、外の世界をコントロールすることに明け暮れている。社会の構造も、人間関係もそうだ。外なる世界を強固につくりあげればつくりあげるほど、個々人は分断されていくという矛盾をはらむ。 なぜなら、外へ外へと視点が向きすぎると、自分自身の内側とどんどん離れていくことが多く、自分自身とのつながりを失うと、他者とのつながりは空疎で実体のないものになるからだ。 見るべき世界は外側だけではなく、自分自身の内側にもある。 自分自身は、外ではなく、常にここにいるからだ。 自分自身とのつながりを失うと、自分自身の全体性を取り戻すことはできない。 なぜなら、自分の外と自分の内とをつなぐ領域が、「つなぐ」場所ではなく「分断」する場所として働いてしまっているからだ。 そうした自分自身の内と外とが重なり合う自由な地を守ってきたのは、まさに芸術の世界だ。外側に見せる社会的な自分と、内側に広がる内なる自分自身とをつなぐ手段として。 そして、医療も本来的にそうした役割があるのではないかと、臨床医として日々働いていて、強く思う。 自分は、そうした外なる世界と内なる世界とを接続させてつなぐ手段として、子どもの頃から芸術や医療の世界を分けることなくみつめてきた。 --------------









医療のプロは、どんな闇の中でも、必ず一条の光が差し込む瞬間が来ることを知っている。だからこそ、どんな暗闇の中でもその光の方向へと歩いていける。辛い時でも悠然と落ち着いて前を向いて歩んでいける。一条の光が差し込む一瞬のタイミングを逃さないようにしながら。 自分が医療現場で学んできたのは、そうしたことだ。








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