2020年の8月に
夏の軽井沢は渋滞で人も多い。
観光スポット?は混んでいるので、近所のお散歩に励む。
生活の場には人がいなくて、でも植物はたくさんあって、ほっとする。
植物の形を観察する。
植物の形は、呪文のようだなぁ。
じっと見ていると、イメージやシンボルという通路を介して、何か特殊な通路が開かれるような気がする。
植物一つの生命の中に生と死が一体となっているように感じる。
生と死は対立概念ではなく、相補概念だということがわかる。
そもそも、すべての対立概念のように思えるものが、深層では相い補い合う関係であることと同じように。
8月というお盆の時期だから、近所の長倉神社にある「平和の礎」で、平和を明確に具体的に現実化したイメージをして、必ずそういう未来を子どもたちが生きるよう誓ってきた。
医療行為も生活も生きることも、すべてが平和運動と分け隔てなく一体化しているかどうか、自分に問い直すように。
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