土地土地に眠る記憶
9月30日発売の、くまもと経済10月号(熊本の経済関係者が見る雑誌)に、Interviewとして「能楽には医療的な側面が含まれている」という話が出てます。 TEDxKumamotoの帰り、くまもと空港で見かけて、あ、そうだったと思い出しました。
今年の8月頃に水前寺公園(水前寺清子さんの名前の由来!)内にある出水神社の薪能でトークをしたとき、この雑誌の記者の方が話を聞きに来ていて、取材に応じた内容です。 経済の方々も、芸術や文化とどういう関係性を持つか、いろいろと模索されているとのことで、、、。
●2018/9/30:くまもと経済10月号 Interview:稲葉俊郎「能楽には医療的な側面が含まれている」
熊本ではお能の歴史は結構深く、加藤清正公が1600年ころに熊本に来たとき、能楽師を連れてきたのがはじまりです。そのとき、「隈本」が「熊本」に変わりました。 つまり、「熊本」という名前も、熊本城も、熊本の能も、だいたい400年前で同じ年。
そのときから、毎年400年間、お能を続けているのが熊本で、こうした県は京都や奈良以外では、石川県と熊本県くらいみたいです。それくらい歴史が深い。 (菊池神社の菊池御松囃子能は、南北朝時代から650年以上続く神事がありまして、これは猿楽と能楽の間のような古式の型が唯一続いている神事。ここをはじまりとすると、650年の歴史になる。)
ちなみに、『高砂』という名曲での準主役(ワキ)は、阿蘇神社の神主さんですし、
『檜垣』という能の秘曲に出てくることが、黒髪と白川という地名の由来。
ちなみに、『檜垣』の舞台は岩戸観音で、ここは宮本武蔵が五輪の書を書くためにこもった洞窟。(子供のころから、自分はこの場所が好きです。実家の裏山なので)。
その『高砂』も『檜垣』も、あの天才世阿弥の作品です。
ちなみに、熊本にある清和文楽も、江戸末期(1850年ごろ)から地元の農民がやっている続いている人形浄瑠璃で、熊本と四国にしか残ってない素晴らしい芸能です。
山鹿にある八千代座という芝居小屋も、1910年につくられた芝居小屋で、とっても素晴らしい小屋なので、坂東玉三郎さんや、海老蔵さんもよく来てくれる素晴らしいところですし。。。
まあそんなこんなで、古典芸能にいつも感動している一ファンとして、くまもと経済の記事としてはお能の話をすこししたわけです(TEDxKumamotoもそういう内容で話しまして。いつかYoutubeで見れるかな、と)。
ご興味ある方はぜひお読みくださいませ。 そして、みなさんも郷土に残る素晴しいものを、ぜひ探求して再発見してほしいです。