能「姨捨」の自然
週末は銀座シックスの観世能楽堂に、「朋之会」のお能を見に行く。
メインは、武田宗典さんの「姨捨(おばすて)」。
すごい演目だ。
山に捨てられた女性の幽霊が主役。 能面も虚ろな形象ですごかった。
若い宗典さんが、まさに老女となり、幽霊となり、
自然そのものとも、月とも一体化し、 姨捨山の山自体とも一体化していくように、 人間や善悪の彼岸を超えていく境地へいざなったのは見事だった。
「姨捨(おばすて)」こそが、深沢七郎「楢山節考」の原型にもなっている。
日本の能っていうのは、ほんとうにすごい総合芸術だ。 空間も衣装も音も身体技法も世界観も、すべて。 この深さをこそ、世界にも伝えたい。
朋之会は、いろんな演目が見れますので、お得です! 会場は銀座Six内・観世能楽堂なので、ぜひ!
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「姨捨(おばすて)」より
思い出でたる 妄執の心 やる方もなき今宵の秋風 身にしみじみと 恋しきは昔 偲ばしきは閻浮(エンブ)の 秋よ友よと 思ひ居れば 夜もすでに白々と はやあさま(朝・浅ま)にもなりぬれば われも見えず 旅人も帰る跡に ひとり捨てられて老女が 昔こそあらめ今もまた 姨捨山とぞなりにける 姨捨山とぞなりにける ‐‐‐‐‐‐ 思い出すのは 迷いの心 迷いの心を晴らすこともできず 今宵の秋風は 身にしみじみと 恋しいのは昔 慕わしく思われるのは生きていた時のこと
昔の秋よ友よと 思い続けていると 夜もすでに白み もはや朝になり あらわにもなった
私の姿も人に見えなくなり 旅人も帰っていく そのあとに ただ独り 捨てられて 老女の私は 昔こそ捨てられた身であったが今もまた その名のとおりの 姨捨山になってしまったのであった

