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Web春秋 第二回 いのちと医療

春秋社での書籍化のために、Web春秋というところに連載しています。

第二回 いのちと医療 がUpされました。 とにかく長いです・・・・汗

春秋社の方からも、とにかく書きたいことを書いてください、と言われたので、書きたいことを書きなぐったら、自分でも書いた内容を忘れていて、へー、こんなこと書いてるんだー、という他人の感じです。

読み返すと、とにかく熱い! 参考文献も何もなく、情熱に任せて流れとして書いた文章・文体なので、お恥ずかしいですが、是非お読みください。

大切なことって、結局みんな本当は心の奥底でわかっているはずなので、あとはそのドアを誰がノックして、いつどのタイミングで開くのか、という問題なような気がしています。

そうしたドアは、地下1階から、地下何十階までもつながっているのでしょう。人によって、地下何階まで覗くのが必要かは、役割や立場によって個人差があるようです。

この春秋Webは毎月掲載されていきますので、今後ともぜひぜひお読みくださいませ。

他の方の文章も、面白いです!

<参考> Web春秋

(→そのときのブログ:●Web春秋 連載(August 26, 2017)

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(本文より一部抜粋)

こうしたいのちの原理は、自然界でも珍しい在り方だからこそ、自然から与えられたいのちの力から、学ぶことが多くがある。この多様化した社会の中で、多様性と調和という矛盾する状態を実現していくためにも。人類は、いまだ命の秘密を解き明かしてはいない。だからこそ、そこに上や下はなく、全員が同じ立場だ。学究の徒として、学友として。医療者や科学者だけが知っているわけではない。この世界に生まれたときに与えられたいのちの原理を体感しながら学び続けることは、そのまま平和運動にもつながると思う。なぜなら、いのちは、ある時には戦いを包含しながらも、全体としては調和の方向へと向かい続けている存在だから。

 医療とは、こうして生命ある世界にあたえられたいのちの力を共に学びながら、いのちの力が最も発揮できる状況や環境を準備し続ける存在であるとも言える。医者が患者を治す、というのは一面的な見方で、自分自身のいのちの力で治っていくプロセスを、医療者ができる限りサポートしている、というのが実像に近いだろう。なぜなら、生きていることが、すべての医療の前提になっているのだから。  いのちは、生まれたときに与えられたものだ。そして、死ぬときにまたお返しするものだ。だからこそ、他者の死からは、生きていた証しとしてのいのちを受け取ることが必要となる。それは、まさに鎮魂ともいえるのだろう。

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