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雑誌「ソトコト」連載『フィロソフィーとしての「いのち」』など 

連載一つ、記事二つのお知らせです。



今月号からソトコトで連載はじまります。

フィロソフィーとしての「いのち」です。ぜひお読み下さい!

今回のホステル特集も面白かったし、以前から長く連載してる高木正勝さんの今回の記事は自分も強く心動きました。


●【Magazine】2020/08/05:雑誌「ソトコト」(2020年9月号):連載『フィロソフィーとしての「いのち」』 第1回目「いのちの指す方へ」(写真・絵・テキスト:稲葉俊郎)









 

次はWeb記事。


カルチャー誌「TOKION」の後編です。

(Interview内容より)

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――この状況下で医療と芸術の関係性に変化はあったと思いますか?

稲葉:医療が技術の問題だけでは根本的に解決できないことが顕在化していくだろうと思います。医療崩壊ともいわれましたが、崩壊する医療は、ある意味で“リペア”するファクトリーのような医療の場です。

そうではなく、次に目指す新しい医療の場は、「いのち」というフィロソフィーを共有する場です。その形態は、銭湯でもギャラリーでも芸術祭でも何でもいいのです。目に見えないもの、共有する哲学こそが大事です。

ネット空間も含めて、場が荒れることがあるのは見えざるフィロソフィーの問題ですね。困難を乗り越えるためにも、命を支える哲学こそが必要な時期です。

今後は、芸術が人間の精神生活や社会基盤に不可欠であると、あらゆる無意識の通路を介して顕在化してくると思います。

これから、私達はより本質的な生き方を求めるのではないでしょうか。合理的で効率的で打算的な生き方よりも、もっと人間的で気高く美しい生き方へと。

そうした危機的な状況でこそ、芸術や文化は、私達の心や魂を深く支えるのです。

わたしたちの生命が健康的にどのように育まれているのか、1人ひとりが内側にある生命の世界へと意識を向け、生命と共に深く考える必要があります。結局、経済活動もすべて生命があってこそ、なのですから、人間というシステム全体の原点に立ち返るきっかけであると思うのです。

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撮影場所でご協力いただいた旧軽井沢 Cafe 涼の音さんは、本当に素敵なとこ。

向かいにある詩人、小説家の室生犀星(むろう さいせい)記念館もタイムスリップするように素敵です。


こうして明治や昭和初期にある別荘が、コケと湿気の中で未だにカビにも覆われずうまく保持されているのは驚きです。昔の建築は、やっぱりすごいなぁ、と、改めて。







P.S.

TOKIONの記事の流れで、横尾さんとGUCCIのコラボ記事があります。

横尾さんのあらゆる発言は本当にしびれますので、ぜひお読みいただきたいですね。





 




Fbやブログなどに書いたものを、ハーバー・ビジネス・オンラインのWeb記事としてまとめました。


彼の死を受け止め、彼の人生を尊重するためにも、と強く思い、その時に沸き起こった思い、見えた風景、そうしたものを取りこぼさないよう注意して、書きました。


自分のいろいろな活動は、医療も、書籍も、山形ビエンナーレも・・・、根底に流れる哲学はすべて同じです。









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