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愛の本質は距離

雑感。

愛の本質は距離。

嫌いになったら、好きになるところまで離れればいい。嫌いになった理由は、距離が近すぎるからであって、相手の問題ではない。

そうしたことを、夫婦関係でも人間関係でもいつも心がけている。

街に関してもそうで、東京が嫌いになりかけていたので、好きになれる距離まで離れたら軽井沢に住んでいた、ということ。

(地元の熊本は嫌いになって離れたわけではなく、文化が集まる東京が好きで、好きだ、という吸引力が当時、勝ったから・・)


ウイルスの問題も、距離の問題なんだろうなぁ、と思う。

今まで、ほとんどの人はウイルスを好きでも嫌いでもなかったのに、突然毛嫌いしはじめたのは、距離が近くなりすぎたから。相手の問題ではなくて、距離の問題。


ウイルスと人、細菌と人とは、ある程度の距離をとって共生していた。

今はウイルスとの距離がゼロになってしまい、パンデミックになった。

だから、ウイルスと距離をとらないといけない。外出しないことも、ウイルスと距離をとることだと、個人的に受け取る。あまり複雑に考えず。


では、そもそも、なぜ人間とウイルスの距離が近づいたのだろうか。

やはりウイルスの居場所がなくなったからじゃないのかな。

人間も同じことだが、誰にも居場所は大事だ。

地球から自然や森がなくなると、動物も虫も同じようにウイルスにも居場所がなくなってしまう。ウイルスは新たな生態系を求めて人間に住まざるを得なくなる。彼らにしても、ある意味では苦肉の選択なんじゃないかなぁ。


短期的にはウイルスとの距離をはかる。いづれ終息するから。ただ、もちろんいつになるかは予測できない。その間の人々の保証や安心をどれだけ図れるかは、国や共同体の成熟度が試される。そうして、社会は少しずつ成長し成熟してきた。

同時に。長期的にはウイルスの居場所をつくる。簡単に言えば、壊しすぎた自然をお返しする必要がある。


色々な問題は、同じような原因が形をかえて出てきているような気がする。

ベストな対症療法をし続けながら、同時に根本治療を考え続けるのは医療の基本だ。


それぞれの持ち場で、できることを本気で取り掛からないといけない時期に来ている。事態はどんどん深刻化していき、切羽詰まってくるから。

次の世代につけを回したくない。

自分たちが蒔いた種は、自分たちが刈り取らないといけない。











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