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中動態としての「祈り」

よく子どもと散歩する自宅近くの場所。長倉神社。

自分が住む場所を守る神社には日々、感謝と共に過ごしたいと思う。


長倉神社は、平安時代の文献『延喜式』(927年)にもその名が残る歴史ある神社。


軽井沢は、明治20年ごろに宣教師の方々が街のルールをつくって、美しい街になった。

さらにその前の江戸時代、中山道の軽井沢宿がその前身となった。


そうした事を新しい著作にも書いたが、本には書かなかったけどいつも思っていることもある。

長倉神社は1000年近く前から、土地を守る人々の願いが込められた場所でもある、ということ。


もちろん、人間自体が、地球の歴史では後から来た新参者である、という謙虚さも忘れないようにしたい。

神社仏閣は、そうした人と自然との距離や関係性を考えるために深呼吸するいい場所。



日々の神社での祈り。

昨日や今日は、熊本の水害が鎮まりますように、と祈る時間を長めにとった。


「祈る」という行為は、あくまでも内発的に行われるもので、外から強制的にされるものではなく。祈りは「中動態」の最たるものだ(中動態に関しては、書くと長くなるので、自分の新刊を読んでくださいませ)。


黙祷していると、3歳の子どもも黙祷するようになるから、不思議なもので。






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