「山形ビエンナーレ2020」9月5日(土)よりオンラインにて開催
山形ビエンナーレ。
山形にある東北芸工大が主体となって、地域の多くの企業の支援(ありがとうございます!)を受けて行う芸術祭です。
2020年9月に、形を変えながら開催します。
<Web>:
もともと、昨年に芸術監督の依頼がありました。
自分も含め、みんなが多彩なプログラムを考えていました。
新しい時代の扉を開ける芸術祭になるように、と。
2020年の初めからコロナの問題が顕在化し、医学的な判断の元、人との接触はどんどん絶たれて行きました。
人が集まるイベントはすべて中止となり、経済活動もすべて止まっていきました。
もちろん、これれはすべて「いのち」を守るための判断です。
でも、もしわたしたちの心が飢えてしまい、生きる希望や未来への希望を失い、心が荒んでいって荒れ果てしまったら、「いのち」の水源は失われてます。
大人の判断は、子どもたちにも、未来にも形を変えて影響していきます。
確かに、芸術祭を中止にすることは簡単です。誰もが納得してくれます。
ただ。
こういう時期だからこそ、「そもそも芸術と祭りとは何なのか?」という原点に立ち返り、そして「どうすれば芸術祭を行えるのか」という風に問いを変換しながら、いま起きていることを真摯に受け止めないといけないと思いました。
ただ中止にするだけであれば、10代や20代の若者から「大人は何を学んできたのですか?」と、笑われてしまうのではないかと。
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山形ビエンナーレ2020を、ネット経由で、オンラインベースで行う芸術祭にしたのは、確かに苦肉の策です。
誰でも、Liveは生で見たいし、アート作品を肉眼で見たいです。
ただ。
オンラインだからこそ開く新しい通路というものもあるはずだと思うのです。
そして、インターネットという通路だけでは、若い世代しかアクセスできないものになります。メディア自体が世代別に分かれてしまっているからです。
山形ビエンナーレ2020での挑戦として、Webだけではなく、TVや新聞、ラジオ、チラシ・・・そうしたメディアを横断することはできないか、と考えています。
「全体性を取り戻す芸術祭」としたのは、そうした「伝える」通路の全体性を取り戻すこと、世代間が新しい関係性を創り直すものにしたいという思いも込められています。
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このコロナ禍の中で、ドイツ政府が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要だ」といち早く唱えたことは、私たちの肩を押してくれました。
ただ。
残念だったのはそうした考えは、まだ日本では定着していない、という冷たい事実でもありました。
もちろん、アートだけを特別扱いしてほしい、と言いたいわけではありません。
なぜわたしたちは文化や芸術を必要とするのか。
日本では芸術や文化と社会とがうまく接続していないのならば、そのことにも同時に挑戦する必要があるのではないか、とも思うのです。
芸術や美術、音楽や舞台芸術、絵画やイメージ、芸能、詩やダンス、舞台芸術、文学や物語や神話・・・・・・・
こうした「文化」と総称されるあらゆるものが、わたしたちの無意識を静かに支えています。
自分がそのことに感謝を感じているならば、その世界へと恩返しをする義務があるのではないかと。
芸術祭とは、まさに芸術の神々に対して、芸術に携わったすべての人たちに対して、感謝の思いを伝える通路でもあると思うのです。
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山形ビエンナーレ2020は、2020年9月の金土日(+祝日)の週末に開かれます。
もともと、平日に仕事がある人でも山形に来やすいように、という配慮から、こうした日程になっていました。
今回は、オンラインベースで行うことになり、どういう形態になるのか、僕らも直前まで分かりません。
見通しが立たない時代だからこそ、アートやデザインに関わる人と、医療に関わる自分とが、「いのち」というリンクの中で共に創り上げていくものにになると思います。
東北芸術工科大学には、多くの教員と学生さんがいて、事務職から食堂から校内掃除を含め、そこを支える多くの人たちがいます。その全員の共同作品である、ということこそが、文化の力です。人間の身体と同じで、無駄な存在は何一つありません。
アーティストやアートを支えるあらゆる人たちが場に「力」を捧げ、その「力」を元気や勇気という形で各自が受け取れるような場にできればと思います。
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岩崎航さんという詩人がいます。
3歳で進行性の筋ジストロフィーを発症し、現在は生活のすべてに介助が必要な状態となっていますが、ベッド上で過ごしながら、命の限り魂の声のように詩を発表し続けている方です。
自分は岩崎航さんの詩のファンです。単著「いのちを呼びさますもの」にも詩を引用しました。
この芸術祭では、岩崎航さんにも詩人として出演いただきます。岩崎航さんのような方が芸術祭に登場してくれることだけでも、今回のようにオンラインで行う意義があるのではないかとすら、思うのです。
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「貧しい発想」
管をつけてまで
寝たきりになってまで
そこまでして生きていても
しかたないだろ?
という貧しい発想を押しつけるのは
やめてくれないか
管をつけると
寝たきりになると
生きているのがすまないような
世の中こそが
重い病に罹っている
岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)より
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ぜひ、みなさま、ご協力いただければと思います。
出演者は、今後も第2弾、第3弾と続きます。
内容やプログラム詳細含め、更新されて行きますのでぜひチェックください。
最後に、自分がHPに寄せた、山形ビエンナーレのコンセプト文を、紹介させてください。
みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020
山のかたち、いのちの形
~全体性を取り戻す芸術祭~
わたしたちが生きる行為は生命の全体的な営みである。
心・体・命・人生・自然。お互いが関係性を持ちながら部分と全体とが相互に影響しあっている。
自然界は常に変化のプロセスにいるからこそ、時にはわたしたちの心身も変化し、バランスは崩れる。
心身と命のバランスを失いかけている時には、全体性を取り戻す場が必要だ。
完璧で完全な場は存在しなくても、全体性が保たれている場は生み出すことができる。
2020年の新型コロナウイルス流行を契機に、社会は大きく変わる。もう元には戻れない。
わたしたちはお互いの距離を大切にし、あらゆる生命との距離を大切にする社会へとシフトする。
色々な転換が起きる。量よりも質を大切にする。浅いつながりよりも、深いつながりを求める。「いのち」の根元を見つめなおし、「いのち」と結びついた社会を求める。
わたしたちは、「生命力」や「共感力」といった「力」を必要とし、そうした「力」を分け合い、共有する場を共に創り上げていく。
このコロナ禍で、ドイツ政府が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要だ」と唱えたが、「アートがわたしたちの生活を支える大切な社会基盤である」との考えは、まだ日本では定着していない。
山形ビエンナーレは、現役の医師が芸術監督を務める芸術祭として、わたしたちが固有の健康を回復する未来の養生所になることを目指す。「いのち」に対して開かれ、「いのち」というフィロソフィーを共有する芸術祭でもある。
わたしたちの「いのち」は、森羅万象に開かれている。
わたしたちひとりひとりは、一対一で宇宙に対峙している。
この過酷な自然環境の中で、どんな絶望の中でもどんなに困難な状況でも希望を持って生きていくことを、多くの先人たちが繰り返してきた。それこそが人類の歴史だ。
どんなにくじけそうなときでも、文化や芸術の力によっていのちに火が灯され、心身が目覚め、いのちの力が呼びさまされて蘇生する。
「芸術」と「祭り」の本質を損なわないようにしながら、現代でどのようにして芸術祭は開催できるのだろうか。
直接的にも間接的にも文化や芸術に携わる人たちが、「アーティスト(アート)は必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」という問いへの返答として、共に悩み、共に考え、共に心を動かし、共に表現することこそが、新しい時代の芽生えとなる。
そうした問いへの返答を、未来へと投げかける芸術祭である。
稲葉俊郎
山形ビエンナーレ2020 芸術監督
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みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020
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<テーマ>:山のかたち、いのちの形 〜全体性を取り戻す芸術祭〜
<会期>:2020年9月5日[土]– 27日[日]
※会期中の金・土・日・祝日にライブ配信あり
※開幕から蓄積される各プログラムのアーカイブは、随時オンデマンドで視聴・閲覧が可能です。
※参加料 無料(一部有料)
<主催>:東北芸術工科大学
<後援>:山形県、山形市、山形県教育委員会、山形市教育委員会
<総合プロデューサー>:中山ダイスケ (東北芸術工科大学 学長)
<芸術監督>:稲葉俊郎(医師 軽井沢病院総合診療科医長)
<キュレーター>:三瀬夏之介(同大 芸術工学研究科長)/岩井天志(同大 教授)/原高史(同大 教授)/深井聡一郎(同大 教授)/青山ひろゆき(同大 准教授)/アイハラケンジ(同大 准教授)/安達大悟(同大 専任講師)ほか
<アートディレクター>:小板橋基希(株式会社 akaoni 代表)
<事務局>:東北芸術工科大学 地域連携推進課
<Web>:
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(美しいWebサイト、美しい写真も、必見です。)
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