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イド・ケダー「自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで」

September 3, 2019

イド・ケダー(著),入江真佐子(訳)「自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで」飛鳥新社 (2016/9/30) を読んだ。


発売当初から気になっていた本だったが、やっと今になって読めた。東田直樹さんの本にも通じる内容で、いろいろと発見があった。

 

 

 

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<内容(「BOOK」データベースより)>
会話のできない重度自閉症の15歳が文字盤でつづる、口コミでベストセラーになった奇跡の手記。こだわり行動、パニック、運動障害、共感覚、学校生活…。重度自閉症の少年が、みずからの症状を解説しながらの、心の成長、そして大人たちへのメッセージ。

 

<著者について>
イド・ケダー (Ido Kedar)
1996年アメリカ・カリフォルニア州生まれ。作家。会話のできない重度の自閉症者。
2歳8か月で重度自閉症と診断され、3歳より週40時間、行動療法にとりくむ。しかし改善せず、深刻な知的障害があるともいわれた。ところが7歳の誕生日に、自分の意思で字が書けることを、母親が偶然発見。その後、ラピッド・プロンプティング・メソッドと出会い、文字盤によるコミュニケーション法を学ぶ。これによって高い知性、言語能力、感性を持った少年であることが明らかになった。原書刊行後の2015年6月、普通科高校を好成績で卒業。現在は大学進学を準備しつつ、シンポジウムや講演など、自閉症についての啓蒙活動に精力的にとりくんでいる。

公式サイト: http://idoinautismland.com
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重度自閉症とされる人は、どのように世界を見ているのか。
僕らがどれほど「見た目」で外見で多くのことを誤解しているのか、ということを改めて考えさせられる内容だった。

 

 

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『なぜぼくはシャイなのか』

「この子は他人に興味がないんだ」と思われてしまう。じつはその反対なのに。
人が好きなのに、シャイすぎて人と交わるよりはどこかに隠れてしまったほうがほっとすると思ってしまうのだ。

それに加えて、うまくしゃべれない、身体を思いどおりに動かしたり抑えたりできない、という問題がある。だからますかずシャイになってしまう。

・・・・・・

この子は障害がひどいので、努力したってむだだ・・・。
みんながそう決めてかかっているんじゃないかと心配だ。

ぼくの場合、専門家たちはこう決めつけた。
「この子は自閉症なので社会生がない。人よりもモノのほうが好きなのだ」
大きな誤解だ。

想像してみてほしい。
思いどおりに身体を動かせず、不安のせいで麻痺したようになって沈黙の世界にとじこめられている状態を。

こんな状態でいるときに「引きこもり」なんて意味をなすだろうか?

なぜ先生たちは「この子は他人に興味がない」と判断したのか。

「行動の理由」ではなく、「外に現れた行動」しか見ていないからだ。

でも、人が引きこもるのには、恥ずかしさ、きまり悪さ、悲しみ、コミュニケーションの問題、不安など、様々な理由がある。

そして、これはふつうの人たちにもいえることだ。

「シャイな人は人間よりもコンピュータや本を好む」なんていえないはずだ。コンピュータや本は気持ちを傷つけないので安心できるというだけだ。

自閉症の人がスティム(自己刺激行動:手をぱたぱたさせたり、叫び声をあげたり、水を吐き出したりする行為のこと)にふけって自分の殻に閉じこもったり、隠れたりするのもこういう理由からだ。
解決策は忍耐、愛情あるサポート、そして自閉症者を受け入れて尊重することだ。
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イド・ケダーさんのこうした文章で思うことは、
専門家こそが、ある偏見にとらわれてしまうことが多い、ということ。
自分はこうした患者を多く見ているのだ、という自負こそが、自分の拡大してしまった偏見から自由になれないことがある。
自戒も込めて。

 

彼が言うように、「引きこもり」には恥ずかしさ、きまり悪さ、悲しみ、コミュニケーションの問題、不安など、様々な理由があって、そうしたことを個別に考えていく必要がある。

 

 

 

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この本のメッセ―ジは、自閉症についての世の中の誤解をただし、理解を深めてもらうことでした。自閉症というのは運動能力の障害であって、知的障害ではないのです。

ぼくの身体と脳は正常につながっておらず、そのためにぼくの脳は身体にどう動けばいいかを伝えるのが苦手なのです。その結果、みなさんが非言語型の自閉症に見るようなものになってしまいます。

ぼくの脳は、口に「話しなさい」と、手に「書きなさい」と、腕に「手振りをしなさい」と、顔に「気持ちを表しなさい」と、うまく伝えることができないのです。
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「あたま」で思っていることと、実際の行動とがうまく結びつかず、そのことに自身で困っている、と言う。

「運動能力の障害」が自閉症の一番の大きな問題なのだ、という観点からは、まさに「からだ」の動きや運動からこそ、何か解決の糸口が見つかるかもしれない。

 

確かに、わたしたちの悩みの多くは「あたま」の問題と、「からだ」・「こころ」とがうまく連結して強調して働いていないことだ。
悩みは「あたま」から生まれるものだし、社会のシステムも仕組みも「あたま」が生み出すもので、そのことがこの生きた身体とうまく結びつかないと、いろんなトラブルを起こす。

 

 

 

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『自閉症の友人への手紙』

・・・・・・
窓を開けよう。
人に思いを伝えよう。
世界に参加しよう。
学校や家族とふつうのやりかたでかかわろう。

そうすれば解き放たれるから。

どうか、あきらめないで。
ぼくたちにはたいへんな難関があるけれど、それでも自由になれるのだから。

きみの友達、イドより
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ぼくの本が日本の人々にまで届いたことをうれしく思います。

自閉症とかかわっている家族がいたるところにいることをぼくは知っています。その多くが孤独や絶望を感じています。

専門家の意見は、親が自分の目で見ているものとは違うかもしれません。

専門家のかかげる目標はときに低く、最低限のゴールしか設定しない場合があります。その結果、実現できることもわずかになることがあります。

ぼくはこのパターンを打ち破りたいのです。

自閉症について、自閉症の視点から見ることが重要なのです。

ぼくの本が、いま日本語でぼくの物語を読んでくださっているあなたの希望となり、刺激となることを心から願っています。
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他にもたくさんの印象深い言葉がありました。
「井戸の底で」という文章にもグサリと来た。
『潜水服は蝶の夢を見る』という映画も、そうした視点だったなぁ。

 

 

 

 

うまく表現できない。周りから勝手に決めつけられる。
そういうことが積み重なると、本当に心は病んでしまう。

 

「自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで」
というタイトルにあるように、彼は現代の異常で無理解で不寛容な愛に欠けた社会を憎んでいた。

(原題は『Ido in Autismland: Climbing Out of Autism's Silent Prison 』(「自閉症のイド:自閉症という沈黙の牢獄からの脱出」のようなタイトルです))


文字盤というコミュニケーションの通路を得たことで、彼の心の通路は開きはじめる。そのことで、自身の心にも変化が起きて、「ありがとう」という感謝の気持ちが自然に沸き起こってくるまでになる。そうした心の変遷も正直に書かれていることが、よりリアルな文体として身に刺さる。
「ありがとう」と素直に思える社会を求めているのは、すべての人の願いのはずだから。

 

 

 

 

 

お互いが誤解し阻害し合わないためにも、色々な立場から見える世界の歪みや異常性や嘘を、共有し積み重ねていくことこそが、多様性を理解し、よりよい社会へと歩みを進める道だ。
そのためにも対話の通路をあけておくことが、もっとも重要なのだろう。

わたしたちは理解しあうために、書物を含めて、対話を必要とするのだと思います。

 

 

 

 

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