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市川孝さんの茶会@Center for COSMIC WONDER

July 1, 2019

Center for COSMIC WONDERにて、市川孝さんの茶会に参加した。
展示「茶車と茶道具と植物と遊ぶうつわ展」も同時開始。

 

 

 

市川孝さんは、陶芸家であり、ご自身で茶器をすべてつくられているのもすごいのだが、そもそもの前提として、茶会をするための椅子や火(炭火)などの一式を、すべてモバイル茶室のように、可動式にして、すべてを自分で自作されているのも、さらにさらに輪をかけてすごすぎる!

 

中国茶、台湾茶・・・日本茶に限定せず、あらゆる茶文化が出てきたことにも感動。ユーラシア大陸と孤島である日本とのつながりを再確認するように。

 

 

作法よりも、まずは共にお茶を飲む(「喫茶来」)、という行為や体験を重視したオリジナルの茶会だ。

 

 

 

 

 

 

 

このモバイル茶室(屋根はない)の仕組みのおかげで、田んぼの中や、船の上、それこそ世界中を旅してお茶会を開かれている。未来の医療の場の一端を見るようで、本当に素晴らしいお茶会だった。

 

お茶を飲む、共に時間を共有する、、、、

こういう一見ありふれた体験の質を深め、生きた経験とするために茶道が生まれてきたと考えると、千利休も体験の質の深さを探求した人だとすると、市川さんも現代における前衛の茶人だ。利休のスピリットを色濃く受け継いでいる人だと、思った。流派などを超えた、生き様の問題で。

 

料理家 植草奈緒さんのお食事、MAMIUMUさんの音楽もお茶会を構成していて、なんとも豪華で豊かな時間。しばし現世でのしがらみを忘れて桃源郷の世界に迷い込んだ。

 

お茶会は2日限定で終わりですが、お茶道具(普段に使えるものです)自体は7/7まで販売もしていますので、ご興味ある方はぜひのぞいてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

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市川孝 
「茶車と茶の道具と植物と遊ぶうつわ」展
May 30, 2019
https://www.cosmicwonder.com/ja/event/3093/

 

茶は樹木だ。
お茶の原産地、雲南省西双版納の樹齢1000年の茶の木は、見上げる程の茶樹だった。
潮州の鳳凰単ソウ茶の茶樹は、茶樹の林だった。
台湾茶の小さく丸い茶も、中国茶の細く長い茶も、お茶の時に葉っぱの形に戻る。
茶は葉っぱだった。

お茶を味わう時、香り、茶味、、苦味、渋み、そして余韻が口の中に拡がる。
お点前、作法、お道具、わび、さび、陰と陽、、お茶に関わる事は知れば知るほど奥が深い。
お茶は探求できる要素が多い大変興味深い分野だ。

そんなお茶を先ずどこか軽やかに愉しんでもらいたい、とらわれない中でその凄みも予感してもらいたい。さあどうするか?いいお茶が手元にある。そこで場所を選ばず屋外で茶の場をつくる「茶車」を拵えて、お茶を振る舞った。昨年、茶車9号まで作ってしまった。茶車10号ももしかして、、、。

 

お茶を「水と葉と陽(火)と人の出来事」として改めて捉えてみると、想像の余白を感じる。何か出来そうに思えてくる。「水と葉と陽(火)と人の出来事」の「葉」を、花や種や茎や根に置き換えるとどんなものがあるだろうか? お茶の葉ではなく他の植物であれば、どんな事があるだろうか? いろいろ感じて、試してみてお茶に戻ると、もしかして、、、。

今回の展示は、茶車と茶器を中心に、植物を淹れる、焙煎する、煎る、焼く、潰す、蒸す、捏ねる、、、を想定したうつわも並べます。

市川孝

Center for COSMIC WONDERでは、市川孝「茶車と茶の道具と植物と遊ぶうつわ」展を開催いたします。

お茶に纏わる出来事を独自の視点で拡張する市川氏。

本展では、お茶の原初的な事象を想起させ、それを主体に芸術行為としての茶会と茶道具を発表いたします。

展覧会初日と2日目には市川氏と料理家 植草奈緒さん、サウンドアーティスト MAMIUMUさんによる
茶会「水と葉と陽(火)と人の出来事」を開催します。

ご高覧賜りますようお願い申し上げます。


会期:2019年6月29日(土)- 7月7日(日)

会場:
Center for COSMIC WONDER
東京都港区南青山5-18-10
午前11時 − 午後7時
*休館日: 6月19日(水)、 6月28日(金)

 

 

 

 

 

お茶を飲む行為は、日本では「茶道」にまで高められた。
それは生き方であり、コスモロジーの問題でもある。

 

お茶の歴史に関して、偶然読んでいた「逆説の日本史8 中世混沌編: 室町文化と一揆の謎」(井沢 元彦)にも、お茶のことで面白いことが書いてあった。

 

 

もともと、世界的に見ると、お茶は「浄水」の目的が大きい。
日本のように水がきれいな地域は世界でも極めて珍しく(山や川などの天然の地形が偶然に浄水装置として働いている)、世界中で「水をいかに安全に、そしていかにうまく飲むか」ということが追求された。
煮沸消毒するのは当然で、その上で、「おいしくない水をおいしく飲むため」にあらゆる植物を探求した結果、フランスやアメリカでは、植物の実(豆)を選択したのでコーヒーが広まった。
日本や中国は、植物の葉を選択したので抹茶や煎茶になった。
日本の水は軟水(岩石のCaなどが溶けていない)で、柔らかい水であったことも茶道文化が深まったことに寄与しているだろう(ちなみに、だし文化も、日本の水が軟水だからこそ)。

 

 

 

日本の茶の歴史は、仏教と共にある。
奈良時代に聖武天皇が僧侶の慰労で茶を与えたという記録が残っている。仏教とともに、お茶自体は伝わっていたのだろう。


その後、平安時代に最澄(天台宗の開祖)が茶の種子を中国から持ってきて、僧の永忠(ようちゅう)が、最澄がもたらした種子から木を育て、茶を精製し、嵯峨天皇に献上した。日本最古の茶園は、比叡山坂本の茶園だ。嵯峨天皇は栽培を奨励した。
当時のお茶は団茶と言い、茶葉を臼で粉にして固めたもの。お湯に溶かし、ショウガやカズラという天然の甘みを入れて飲む。砂糖入りコーヒーに近い。

 

 

その後、朝廷の衰えと共にお茶の文化も一時途絶えた。


そこを復興させたのが、鎌倉時代の栄西(臨済宗の開祖)だ。「喫茶養生記」という著作を書いている。
栄西は時の権力者である源実朝に「お茶は薬で健康にいい」と言ったことで、お茶文化は復興することになる。栄西は、団茶ではなく抹茶を広めた。

 

 

その栄西の茶の種子を譲り受けたのが、明恵(華厳宗の僧)。
明恵は40年におよぶ夢日記を記録した『夢記』でも有名だし、日本人の無意識の行動規範をつくっている「貞永式目(御成敗式目)(1232年)」の思想的バックボーンになっているので、明恵ほど日本人の無意識に大きく寄与している人はいないだろう。「日本自然教の祖」でもある。

夢の世界の探求者だからこそ、時空を超えてわたしたちの無意識を先取りしているのだろう。

明恵は高山寺の裏山にお茶を栽培し、栂尾(とがのお)でとられるのが本茶で、それ以外は非茶とした。ちなみに、宇治茶も栂尾から分けられたもの。

 

 

 

 

 

僧侶が茶を飲んだのは、健康のためでもあるが、同時にお経を読むための覚醒効果(カフェイン)のためでもあった。

そのため、中国仏教では茶の飲み方が修行として儀式化し、その作法を道元(曹洞宗の開祖)がもたらした。

ちなみに、日本での一般への茶の普及には闘茶が一役買った。
これはお茶を飲んで茶名をあてるというギャンブルでもありゲームのようなもの。

 

 

 

室町時代になり、今わたしたちが使う和室の元祖、祖型である「書院造」という部屋のフォーマットが日本に普及しはじめると、その場が会席の場(つまり、お茶パーティー)となる。現代でのワインパーティーのように、飾りつけは日本風ではなくあえて中国風となり、中国渡来のものを豪華に飾りつける。「唐物(からもの)」と呼ばれた。
足利義満は、明と交易して、中国の華美な唐物を多く輸入した。
足利義政も、唐物ベストセレクションとしての東山御物をつくった。

(義満が金閣寺、孫の義政は祖父の真似して銀閣寺を建てる。)

 

 

 

豪華絢爛で特権階級だけの趣味という極に振れすぎると、別の極が生まれてバランスをとろうとするのが自然の摂理だ。
華美ばかりを追求した幕府流の茶に対し、異議を唱えたのが村田珠光。
村田珠光は、お茶を禅の思想と連歌の美意識で変革した。
その流れを武野紹鴎が受け、「わび茶」を創始した。つつましく簡素な世界にこそ、美の真髄を求める動き。
そこから千利休という前衛(アバンギャルド)が生まれることになり、現代に続く茶道の基礎が形作られていく。

 

 

日本のお茶文化の歴史を見ると、そこには仏教の歴史、仏教で深められた考え・思想が分かちがたく結びついていることが分かる。そして、あらゆる美意識が結合している。

 

お茶をひと口飲むだけで、そのバトンを渡し続けた先人の息吹まで、伝わってくるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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