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神の戸としての手塚治虫先生

May 11, 2019

宝塚をブラブラと散歩する。
とってもいい空気が流れていて、散歩しているだけで楽しい。

 

建築家・村野藤吾氏が設計したカトリック宝塚教会は、クジラをイメージしているとか。
美しい造形に胸がときめく。
クジラの体内に入っているのか!と思うと、メルヴィルの古典『白鯨』を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


今回の旅の大きな目的の一つでもある、宝塚の手塚治虫記念館へ行く。

 

ここは高校の卒業旅行として、18歳の時に手塚好きかつビートルズ好きの友人と二人で訪れた思い出の土地でもある。記憶も体も精神年齢も、22年前にタイムスリップした。

 

 

 手塚治虫記念館

 〒665-0844 兵庫県宝塚市武庫川町7-65

 

 

 

 

 

 


手塚治虫が自分に与えた影響は計り知れない。

 

むさぼるように漫画を読み続けた学生時代。

手塚漫画を入り口として、漫画と名の付くものなら何でも読み続けた。

漫画(+プロレス)が、すべての自分の哲学の基礎にある。

善も悪も、倫理も哲学も、愛も平和もすべては漫画家から紡がれる物語やイメージから学んだのだった。

 

漫画の中で、常に戻ってくる場所は手塚治虫。

手塚先生のない人生は考えられない。

 

手塚世界だらけの記念館は、眼がクラクラするほど!自分が物語の中に入り込んだような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手塚治虫記念館の館内で見たミニシアターも最高だったなあ。

老若男女に分かるユーモアがあり、哲学があり、愛がある。

そしてワクチンのように微量の毒も忘れず混入されている。

こんな全体的な表現をできる人って、なにものなんだと。

漫画の大海は、やはり手塚先生なくしては語れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生時代に手塚治虫先生の波動を浴びすぎたおかげで、自分が医師の道に進むことも後押しされたと思う。

自分が見続けている先は、大学特有の権威のピラミッド構造ではなく、そんなこととまったく違う次元にある、手塚治虫が夢見た先と同じ場所。

 

あらゆる教えはお月様を指す指のようなもの。
わたしたちは指がさしている月を見ようとせずに指にとらわれてしまう。 
手塚先生は、漫画という指ではなく、その先にある月を共有することを伝えていたと、自分は思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手塚治虫記念館を出ると、そこは現実世界だった。
長い夢を見ていたような・・・。
そして、宝塚歌劇団の劇場があった。

 

 

 

 

 

宝塚ホテルは、宝塚大劇場のオフィシャルホテル。

老朽化で取り壊し、移転されるらしい。なんと素晴らしい異空間。

手塚先生の漫画に通じる並行現実ような世界。お茶をしていると優雅な気分に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝塚からは伊丹空港が近く、そこから東京へ。

もう少し時間があれば太陽の塔まで足を運べたのだが、それはまた次回。

 

 

空から地球の形を見て、空の色を見続けていると、ふと手塚先生の言葉を思い出す。

 

 

 

 

今回の神戸の目的は、横尾忠則現代美術館と宝塚の手塚治虫記念館だが、このレジェンドである二人が対談をしている本がある!

それは、横尾忠則さんの「今、生きる秘訣―横尾忠則対話集」光文社 (1998年)

 

 

 

この本で手塚治虫先生と横尾忠則さんとの面白い対談がある。

手塚先生が「火の鳥」のラストを予言していたのには驚いた。

 

人間の人生を永遠と結び付けること。

確かに、「火の鳥」は永遠の生命を表すシンボルであるし、それは人間の中にある永遠の何ものかに気づくということなんだな、と思う。

 

 

手塚先生が言うような、宇宙主義みたいな哲学的な思想、民族、国家、イデオロギーを超越した大きなもの。
それは横尾さんの作品からも、手塚先生の作品からも受け取り続けているもの。

 

同書より。

 


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手塚『人間が本来持っている原初の本質的なものに戻るということもあるわけです。
一つには宇宙主義みたいな哲学的な思想だと思うんですよ。
僕は月が征服されたりしたときに少しずつ目覚めてくるかと思ったら、軍備競争ばかりにこだわってできなくなってしまった。
つまり、宇宙開発技術そのものも一種の軍備というものに置き換えられてしまった。

僕は、宇宙に飛び出して地球を一つの個として考える時点になったら、全然今までとは違った思想を持った若者が増えていくと思うんです。
それは、民族、国家、イデオロギーを超越した大きなものですね。』
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手塚『70歳なら70歳の中で、それを永遠の生きがいみたいなものに結びつけられる方法がないだろうかと。
それが「火の鳥」というマンガの結論になるわけですね。』
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人間の人生とは何か。

こういうことをグルグル考えている時、いつも着地する場所がある。


結局、人間は「好き」ということを追求していくことが人生のすべてなんじゃないかな。

「好き」を、安全に、安心して追求するためには場を整える必要があって、安心できる場を整える魔法陣のようなものが生活であり仕事であり家族や恋人であったりする。

 

恨みや怒りなどの感情も確かに強い。
でも、「好き」という感情の方が、自分の命と、生命の炎と直結している。どうしようもない力。それは命のことじゃないかな。

 

恨みや怒りは、脳のエネルギーが駆動力。考え方や見方、思い込みや偏見が変わると魔術のように一瞬にして力を失う脆いもの。しかも、自分の生命の一部を薪にくべながら燃やし続けている気さえする。

 

 

「好き」に勝るものはない。カッコつけると「愛」という言葉になる。ただ、かっこつけずに「好き」でいいんじゃないかな。

 

「好き」を探求する旅を人生だとすると、その本線のレールを忘れさえしなければ、仕事や人間関係や、いろいろな人生の修行も、そんなに苦じゃないんじゃないかな。

だって、そんな人生の些末なことを超える先に自分が求めているのは「好き」なものだらけなんだから。


どんな暗やみの中でも光が差すように、その光は「好き」という感情でしか感知できないもの。

 

自分は、好きなことをするために、色んなことをし続けたい。

好きなものを発見し続けることは遺跡の発掘作業のようなものだ。

掘り進める先は、宇宙の全ての来歴。それはいのちの源流をさかのぼるようなもの。

 

 

 

 

 

 

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