生きること 働くこと 平和を願うこと
食と平和について、Eatripで食事をしていた時に思ったこと。
生きることや働くことと、平和活動とを分ける必要があるだろうか? 平和活動とは、平和活動家や人権活動家、政治家の特権なのだろうか。
否。
自分は、生きること、働くこと、そうしたことと平和運動とを分ける必要はないと思う。
きっと、すべてのこどもも、平和を願う非専門的な存在だと思うから。
そもそも、平和が前提にないと、あらゆる文化活動が停止してしまう。
そもそも生命活動自体が停止してしまう。
専門家であろうとなかろうと、あらゆることに関与することはできる。医療もそうだし、芸術もそう。専門家か非専門家か、というのは、仮想の線であって、実体はない。
こどもの目を取り戻し、死者の目を獲得しさえすれば、そこに境界線はなかったはずだ。
根底に同じ思いを燃やしている人たちと共鳴して感化しあい、不定形で全体的な生命現象を生み出すこと。
そうした思いを、赤い本や白い本や青い本の自著に、込めたし、自分の活動の根底にはそういう思いが原動力にある。
Ginza Sony Parkでのイベントも、そうしたことにつながればいい。
きっと、つながる。
『#007 eatrip city creatures』@Ginza Sony Park(東京都中央区銀座5-3-1)(2019/4/20-5/24)(cf.Ginza Sony Park HP)
