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犬島 100年前の夢のかけら

先週末は直島に行き、ベネッセアートサイト直島の素晴らしい世界を全身で浴びた。

その後、東京へ舞い戻って仕事を頑張った。あまりに忙しくて続きを書けないまま時が過ぎた。

そして、また香川に来ている。

MIMOCA's Birthdayでの講演のため。

2週続けて高松空港へ。これは偶然?

直島と豊島(てしま)の次に、やっと犬島のことを。

犬島はかなり岡山県寄り。実際に犬島だけが岡山県。

犬島の由来として、犬がうずくまったような石から来ているという話がある。それだけではなく、太宰府に流される途中の菅原道真が、嵐の中で犬の鳴き声に導かれてこの島に辿り着き、その菅原道真自体が命名者であるという言い伝えがあるようだ。

直島の命名者が崇徳天皇。犬島は菅原道真。 言い伝えに過ぎないかもしれないが、どちらも日本史最大の怨霊であり、菅原道真は天神様と崇められて今では学問の神とされる。こうした負のエネルギーを正のエネルギーへと変換していくことは、生きるための知恵でもあり、誰にでも関係のあること。それは呪術の側面を持つ芸術が担うマジカルな世界でもある。能を含めた芸能もそうしたことと関係がある。

幸福は確かに素晴らしい。 ただ、それが深い悲しみに支えられていないと、その幸福は浮ついたものになる。 日本の文化は、幸福よりも、その幸福を静かに支えている悲しみのほうへと、優しいまなざしを当てているものが多いと思う。過去の多くの悲しみの上に、今の幸せはある。それはある意味で悲劇として語られる。

そんなことを思いながら、犬島へ向かった。

直島から犬島までは60分くらいの船旅だったが、永遠のように繰り返される波の相を見ていると、あっという間に、犬島に着いた。

フェリーから見る水しぶきが、モーセの十戒のように見えて、神秘の造形に美しく見とれていた。 さらにじっと見ていると、バンザイをして歓喜する人に見えてしょうがなくなった。

海の中から突然巨大な塔のようなものが見えた。どこかでタイムトンネルをくぐって過去へと戻ったように、驚いたのだった。ここが、まさに目的地の犬島だった。

犬島精錬所美術館は、銅製錬所を美術館にしたもの。

精錬所は1909年に作られたが、銅の値段が暴落したことで、ほんの10年でその役割を終え、廃墟となった。

銅の製錬過程で出たものを利用したレンガは、複雑な表情をしていた。

鉱物という生命が、あるものは訪問者をにらみつけ、あるものは優しく受け入れ、あるものは歴史の番人のように、それぞれがそれぞれの思いを抱えて整列しているようだった。

静かにそびえる煙突。 そして、町の形が陰画のように映し出される。

自分の感覚を開けば、当時の人たちのざわめきが聞こえてきそうなほど、あらゆる気配に満ちた場所だった。

ここで、過去には多くのひとたちが息をして生きていた。 愛し合ったり憎みあったり、怒り、喜び、叫び、笑い、求めあい阻害しあい、人間が人間として、誇らしく生きていたのだな、と。 今はほとんど住んでいる人はいない。

直島、豊島、犬島、、、すこしずつ住んでいる人の数が少なくなり、人の気配が薄くなる。そのグラデーションが、その多様性こそが、まさに島の生態系だ。

そもそも、地球自体も宇宙という大海に浮かぶ、小さく、か弱い島だ。

 

犬島の「家プロジェクト」。 家という空間と美術作品とが一体になっている。 家には人ではなく、美術作品が住人として番人のように住んでいる。

家と家の間にも、作品がある。 作品を見に行く、という目標があるからこそ、それが順路のような働きをして、島を巡ることになる。 だから、結局は島という全体がひとつの大きな美術館になる。

建物の中の通路を歩くよりも、光を感じて潮と塩の香りで海を感じ、植物や鉱物や生き物を見ながら歩く方が、美は自分のコアへと入り込んでくる。

日常でも、こうして様々なものを発見しながら生活すれば、毎日が発見と驚きの日々へと化するだろう。

自分は、東京の暮らしでも、日々の空気の密度、それは同時に水の密度で、そうした空気と水を貫通する光の様子を感じることを日課にしている。毎日、ほんとうに違う。

くらしの植物園という場所も(建築家の妹島和世さんが関わっている)、力が入りすぎていない感じとっても居心地がよかった。植物の丈が低く、虫の眼になるようで。

犬島で過去に住んでいた人の気配を色濃く感じながら、犬島をあとにした。

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