© All right reserved TOSHIRO INABA

下学上達

May 17, 2017

論語の「下学上達」(憲問篇)という言葉が好きだ。
身近なことから学びを始め、真理へと到達していくこと。

 

 

 


子供の時の問いを大人になっても問い続け、子どもの素朴な感性を保ち続けることと似ている。

 

 

リンゴが落ちていることから万有引力へと理解が至るのか、夏至のときだけ底が見える井戸から地球の大きさの測定へと理解が至るのか。

あるInspirationを受けるにはその器や土台が必要で、無意識下に問いを問いとして保ち続けているかどうか、ということが大事だろう。

 

そもそも、リンゴが落ちることや、ある場所のある瞬間にだけ井戸の底が見えたことも、不思議だと思うことが前提でもある。疑問を疑問として感じるのも大事なことだ。

 

ニュートンは、惑星と地球との関係を無意識下で考えていただろうし、エラトステネスは地球の大きさを無意識で考え続けていただろう。


エラトステネスは紀元前200年頃のギリシア人数学者だが、地球の大きさを初めて測定した人物として知られている。

アレクサンドリアに住んでいたエラトステネスは、少し離れたエジプトのシエネで夏至の日だけ底へ光が到達する井戸の存在を知った。それはある種の感動で驚きでもあっただろう。なぜ、この場所だけ、この瞬間だけ、井戸の底に光が当たるのか、と。

 

そうした井戸での発見と、場所や時期が違えば影が伸びる大きさが異なること、その単純な事実を組み立てていき、地球の大きさを測定するアイディアを思いついた。詳細は省くが、直角三角形の公式くらいしかつかわない。x^2+y^2=z^2。

 

エラトステネスの、井戸と光と影とのアイディアから地球の測定にまで思考を飛翔させたエピソードが自分は好きだ。

 

 

 

安易に合理化せずに、無意識下で考え続けることが大事なのだと思う。
解決の糸口として、何が補助線となるのかは誰にも分からない。

 

 

医学で大事なことも、たいていは子供の時に誰もが感じる素朴な問いを複雑化、細分化させただけだと思う(なぜ病気になるの?なぜ寝てたら病気は治るの?なぜ人は寝るの?なぜ人は死ぬの?・・)。

そうした問いを秘かに抱き続けることが、孔子の言う「下学上達」だろう。卵を孵化して温めるように。

 

 

論語の「下学上達」で、下学は手近のことに学ぶということで、上達は上に達すること。

孔子のイメージする「上」というのは、「天」そのものを指していた。天と人とが理を一にするという意味合いで。 
そして、「下学」で言う「手近のこと」というのは、究極は「自分自身のこと」でもあると、思う。生きている自分自身、存在している自分自身、驚いている自分自身。そうしたすべての自分自身のこと。

 

 

孔子『論語(憲問)』
「子曰く、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天なるか、と。」

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload